★阿修羅♪ > カルト4 > 195.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 上祐グループは「脱会」ではない(有田芳生の『酔醒漫録』) 投稿者 gataro 日時 2007 年 3 月 06 日 23:40:43)
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/376.html から転載。
2007/3/5
「「脱会」でなく「分裂」」
オウム真理教の上祐派が独立するということのようですね。
これ、彼のブログをみたり記者発表などによれば「脱会」して云々と書いてある。
嘘を言っては困るんです。
こういうのは「分裂」というんです。
・昨年7月に協議して収支を分け、
・居住場所も道場も一部は争いながら確保し
・出家者30人だろうが60人だろうが、まとめて出る
のですから。
脱会というのは、「一人ひとり」でするものであり、その後麻原さんを観想せず、もちろんオウム関係のどこにも布施も協力もしないものです。
本当の脱会者としては、こういうのを「脱会」と言ったり、麻原家に布施していたり御付でいるのに「脱会」なんていっているら、困るんです。
で、上祐派は、まあ「弥勒教」ぐらいがもっともいいネーミングなので、少し前に、私はアベルさんの掲示板で述べておきました。改めてここに書く。
「弥勒教」
これでこの名前は絶対、使えまい。
http://honfleur.parfe.jp/bbs/bbs3/nerimb3.cgi
上祐派は、要するに
1−麻原さんを隠すことができる「大人の過激派」(原理派は「子どもの過激派」)
−そう国鉄の分割民営化の折に革マル派が率いる組合が「労使共同宣言」なんてのを何度も出して当局に擦り寄り確かに酷すぎる合理化に協力するまでして組織を温存したのと同じ。どこかの段階で再発防止処分をかけられたくはないし、観察処分も外したいだろうから。
2−自らの選民意識を抜くことができない幹部の慰撫の場所
−一人で脱会し現世に戻れば社会での地位は、勿論逆転する。オウムでの「解脱」なぞ価値がありたいと思いつつもすぐに逆だったと言うことに気づかざるを得ない。
3−幹部の生活の場。
−上祐なぞ自分で仕事をしたことがないようなもの。人からの布施その他で生きていることが習い性になってしまったのだろうか。医者、弁護士、宗教家は人の不幸と悩みで飯を食っているという後ろめたさを知るべきなのですが。
4−社会を誤解した集団。
−朝日新聞を中心とした上祐の広報紙かと思うようなところに代表される一部メディアのおかげで、上祐の誤解が昂じてしまった。そりゃ、1万人に一人理解すれば1万2000人になるけれどね。だからほおって置けば後に増えていく可能性があるのが厄介。
5−恥かしいなあと感じる集団
−「衆生を愛する」なぞと言っているが、そんなことを言える立場ではないこと、「愛して」みたいに上祐はブログで言ってるがそれこそ「反抗期の子ども」そのものだという恥を、まず知るべきなのだが、それを分かっていない。
6−矛盾した集団
−自らのホーリーネイムを捨てようと位階制をなくそうと、上祐が指導して作るということ自体が、上祐の宗教性を認定したのが「麻原彰晃」である以上、矛盾しているのです。
で、残った集団はどうなるか、
3月2日の日本テレビ系「セ゜ロ」という番組報道で暴露されたとおり、
(ああこれ上祐派からのリークが切っ掛けじゃないのかなあ、原理派・中間派を揺らすための)
2月20日か22日?の役員会議で、野田成人−ヴァジラティクシュナーを代表者とした。
二宮は出てなかったのではないかしら。忘れた。
で、これを師補でしかないはずのA広報部長らが、認めないと、
テレビ製作会社にファックスしてきた。
当面の焦点は、
1−オウム真理教によって食わせてもらっている松本被告の妻らまたその代理人が、どう出てくるか。
2−松本被告と、一昨年10月からまた確定の後も面会が可能であるはずの、元オウム真理教法務部長吉岡毅弁護士(埼玉弁護士会の方の)の動きだろうと思います。
3−それにしても、二宮君、どうするの?
今心配されるのは
1−内ゲバ
2−嫌気がさしてこま所またこれからやめていく−しかし麻原さんから与えられた恐怖が抜けきらず、現世の辛さを直ちに知ることとなる−人の自殺
3−一人オウムのようになって、危ない温熱修行などをするとによる死亡事故
です。
何にしても、今回の分裂はオウム問題全体の解決のためには、歓迎してよいことです。結局は、それで合計人数も減るから。
そりゃ、勿論、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていくのがもっとも良いが、そうはなかなかならない。
分裂していくと監視体制がとりにくくなっては来るが、既に現役信者の情報は当局にその心理状態などを含めて相当に把握されているから、昔と異なって、対応はしやすい。
願わくば、監視・接触する方が、オウム信者の心理をよりよく理解されることを。