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http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/03/post_2b2e.html から転載。
2007/03/06
上祐グループは「脱会」ではない
3月5日(月)「そのまんま東」知事の女性好きは「そのまんま」らしい。お笑い界にいる知事の知人たちの間では常識になっている。ビートたけしさんもすでに訣別。仲のよさそうなこの間のツーショットは営業用のものだった。ジムで泳いで神保町。新世界菜館で『酔醒漫録』の打ち上げ。斎藤貴男さんを擁立しようとしてはしごを外した社民党に改めて呆れる。神保町に選挙事務所を置くことに「党が反対している」と語った福島瑞穂さんは「党首」ではなかったか。党首の意見が通らない政党とは、編集長の企画が通らない週刊誌のようなものだ。「週刊朝日」のなかに「朝日ジャーナル」が復刊した。わたしはそこに「テレビがまき散らす疑似的現実を離れて」という小文を書いた。ついでに記録しておけば、「週刊朝日85年記念増刊」の「週刊朝日が報じた昭和の大事件」には地下鉄サリン事件についての原稿を寄せた。そのオウム真理教(アーレフ)本体から上祐史浩グループが分裂する。新聞やテレビが上祐たちの言い分をそのまま使い「脱会」と報じているがこれは誤りだ。「脱会」ではなく「分裂」。滝本太郎さんと認識が同じだ。彼らはオウム真理教(アーレフ)が誤りだったと理解して社会復帰するわけではない。先週の木曜日のこと。上祐派のある人物から電話があった。施設をマスコミに公開する前に「見ていただきたい」という申出だった。そして「厳しいご意見も伺いたい」という。そこでわたしは上祐代表にも話を聞くことができるのかと問うた。しかしそこから迷いが生じた。かつて上祐代表が刑務所から出てきたとき、いくつかの週刊誌から対談をしないかと打診があった。わたしはそれを断った。社会にウソをつき続けた彼にはもう会うべきではないと判断したからだ。
その原則を破ることに傾いたのは、最近のインタビュー記事を読んでいて追及があまりにも甘いからであった。電話をかけてきた人物はインタビューが可能であるかのような口ぶりであった。そこで「何でも聞きますよ」と伝え、それをそのまま翌日の「ザ・ワイド」で放送したいと伝えた。すると最終的には今夜になり上祐代表の意思として拒絶の答えが戻ってきたのだった。「マスコミの一般公開に先立って」という言葉が「ほかのマスコミと足並みを揃える必要がある」に変わったのだった。わたしが問いただし、テレビで放送したかったことは2点。上祐史浩代表は早い時点で坂本弁護士一家殺害事件が教団の犯行だと知っていたこと、さらにはサリンプラント建築の責任者だったという疑惑である。そこをとことん聞きたかった。少し詳しく書いておく。時期は1993年8月、場所は第2サティアン3階。村井秀夫元幹部などをまじえた会議では麻原彰晃がサリンプラントを作ることを激励した。そのとき上祐史浩は「7トンのプラントを作るのではないですか」と発言、麻原は「いきなり大きいのからいこう。70トンでいこう」と語った。たしかにその後はロシアへ行くのだが、松本サリン事件、地下鉄サリン事件、滝本太郎暗殺未遂事件に無関係とは絶対にいえない。麻原彰晃を否定するというけれど、「麻原あっての上祐」だ。しかも上祐派のある人物は麻原彰晃のテキストをいまでも隠し持っている。施設もそのまま同じく千歳烏山のマンション。財政を分離して新しい組織を作るのは、44歳までいちども働いたことのない生活を信者の労働に寄生して続けるためである。オウム真理教を源流とする組織などはすべて解体しなければならない。