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(回答先: 無料求人誌 大量持ち去り/妙手なく悩む業者(沖縄タイムス) 投稿者 gataro 日時 2008 年 1 月 03 日 16:26:37)
gataroさん、こんにちは。
>gataro が小学校にまだ通っている頃、朝鮮戦争が勃発し、戦争に金属が必要なものだからたちまち金偏(かねへん)景気が巻き起こった。その頃学校から帰ってくると「焼け跡」などに一目散に走っていって古鉄拾いに精を出したものだった。金気(かねけ)のものを古鉄屋に持って行くといくらでも買ってくれたからだ。古鉄屋から帰ってくるときには、わずかばかりだが換金した小遣い銭を手にして、やっと紙芝居を「タダ見」せずに見られるぞと心躍らせたものだった。
多分私はgataroさんよりもほんの少し後の世代になると想いますが、それでもまだ生まれ育った家の近くの広場には駐留軍のカマボコ兵舎や事務所跡があり、その一部は52,53年頃までは県庁の別庁舎として使用されていた模様です。
小学校の低学年の頃でしたが、家の近所に生活力が旺盛な仲間がいて、彼等につられて古鉄拾いに励んでは古物商で換金し、アイスキャンディーを買ったり紙芝居の閲覧料(水飴)の購入に充てたりしたものでした。
>当時一番珍重されたのは「アカ」つまり銅だった。不届きものが夜陰に紛れて関西電力の電柱によじ登って電線を盗むということがよくあった。絶縁に失敗してあえなく感電死する不運な奴もいたが、これこそ「自己責任」の自業自得というものだろう。ボクの友人の弟は大人たちに混じって大阪城の射撃訓練場で薬莢を拾っていて、補導されたりもした。開高健描く「アパッチ族」そのものだ。
東京電力の資材置き場ではよく遊んだものです。時には廃材になった銅線の屑を持ち出したこともあったような、ないような、記憶が定かではありませんが、廃ビルや人気の無くなった建設現場は遊び場であると同時に換金財が転がっている数少ない宝庫でもありました。
戦後の貧しさに附随するこうした感覚の記憶があることが果たして好ましい事なのかどうかは分かりません。しかし、同世代人の感性に少なからず振幅の巾を齎していることだけは確かなようです。
gataroさんの投稿文の趣旨とは大分外れたものになりましたが、懐かしさのあまり、思わずレスしてしまったような次第です。どうか、ご海容のほどをよろしくお願いいたします。
また、会いましょう。
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