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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu152.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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世界は『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』でできている。アメリカは罪悪
感を正当化するため、他の国におせっかいをし続けなくてはいられない
2007年9月26日 水曜日
◆嘘だらけのヨーロッパ製世界史 岸田秀(著)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4403231063.html
◆世界は『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』でできている 9月26日 岸田秀
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070904/133983/?P=1
改憲論議や第2次大戦前後の歴史論争に顕著だが、昨今、分かりやすい正義やスッキリした結論が求められがちである。ビジネスの世界も同様で、つい先日まで正義とされていたアメリカ式市場主義が、今は逆に格差社会を助長すると悪者にされつつある。そういった単純な善悪が求められる時にこそ、この本を薦めたい。
著者の岸田秀は30年前、『ものぐさ精神分析』という書を発表。同書はシリーズ化し、一世を風靡した。
フロイトの精神分析理論は一般的に個人向けのものと思われているが、著者はそれを国や民族のような大きな人間集団に当てはめる。人間は本能の壊れた動物であり、その状態で現実を生きるには共同幻想をもって補完するしかない。それが文化といわれるものの正体であり、宗教もイデオロギーもすべて共同幻想にすぎない。著者はそういった考えを「唯幻論」とよび、それを歴史に当てはめる「史的唯幻論」を説いた。
たとえば、『ものぐさ精神分析』では、こういう問いが立てられる。
「60年前、なぜ日本はアメリカを相手に無謀ともいえる戦争を行ったのか?」
それは、「幕末にアメリカに無理やり開国されたから」。これが「史的唯幻論」から導きだされる答えだ。また、
「アメリカは、なぜ遠い国(当時はベトナムを指した)まで行って余計な戦争をするのか?」
という問いの答えは、「彼らがインディアンの土地を奪って国を作ったから。国の成り立ちが他国民の略奪だった彼らは、その罪悪感を正当化するため、他の国におせっかいをし続けなくてはいられない」というもの。
詳細は、『ものぐさ精神分析』を読んでいただきたい。その快刀乱麻を断つがごとき論理展開は、牽強付会スレスレながら、目からウロコが何十枚も落ちる快感を読者にあたえるであろう。
◆ギリシャ文明は、アジア・アフリカ文明の影響下に?
今回採りあげた本は、その岸田秀の最新刊である。内容は、英国人歴史学者マーティン・バナールの『黒いアテナ』の解説が主になっている。
『黒いアテナ』とは何か。それは、「ヨーロッパ文明の元祖といわれるギリシャ文明が、実はオリジナルなものではなく、アジア・アフリカの文明の影響を色濃く受けたものだ」と主張した歴史書である。この本はヨーロッパ文明至上主義的な歴史学会に大きな衝撃を与えた。余談だが、最近亡くなった作家の小田実も死の直前まで注目していた。
原著が出たのが1980年代。2巻目の後、最近、やっと1巻目が翻訳され、ざっと目を通しただけでも非常に興味深い内容だと分かる。
しかし、困ったことにやたらと分厚い。1巻だけで約600ページ。どういう理由か別の出版社から出ている2巻目は上下に別れていて、両方ともに500ページで計1000ページ。合計1600ページになるというとんでもない大著だ。それにどうやら全4巻らしい。正直言って、多忙なビジネスマンには手が出ない。
本著『嘘だらけの〜』は、そんな大著とそれに対する反論や再反論を、全部まとめてコンパクトに解説してくれている。しかも、岸田節ともいえる「史的唯幻論」のオマケつきだ。その部分を簡単にまとめると、以下のようになる。
バナールは「ギリシャ文明はヨーロッパオリジナルではない」というが、そもそもギリシャ文明と今のヨーロッパ文明は無関係である。ギリシャ人だったアリストテレスの著作をヨーロッパの古典とするのは、孔子の『論語』を日本の古典と称するに等しい。他人のものを自分のものとするのは一種の横領である。
このへんは岸田秀の面目躍如といったところか。非常に分かりやすく印象に残るたとえである。
ヨーロッパの人間は、アジアやアフリカを植民地にして、悲惨の極地に追い込んだ非常に残酷な民族である。その残酷さは他に類を見ない。なぜここまで残酷なのか。それは、遥か遠い過去に、白人が黒人に差別されたからであろう。色が白いのを理由に差別され、豊かなアフリカ大陸を追い出された。その被差別の記憶が後のアジア・アフリカ人への差別につながり、ナチスはその最も極端な形なのだ。
◆アーリア人、皇国史観、東京裁判史観、唯幻論も疑わしい
前の戦争で、ナチスが金髪碧眼のアーリア人をもっとも優秀な民族とし、ユダヤ人を劣等民族と決めつけ、その絶滅を図ったことは周知の事実だ。その恐ろしい行動は全世界的に非難されているが、著者はその国家的犯罪の奥に目を向ける。
そもそも、アーリア人という概念自体が嘘である。それは日本の天孫降臨と同様、作られた物語だ。インド=アーリア語族という言語学上の概念が定説となっているが、それも、18、19世紀の植民地支配を正当化するために「発見」された概念にすぎない。なのに、いまだに日本の高校の教科書は、アーリア人の存在を事実として無批判に記述している。
情けない話だと著者は嘆く。そのような物語を作ってまでも、アジアやアフリカを差別せずにいられなかったのがヨーロッパ人であり、そんなヨーロッパ人が作った歴史の嘘に、われわれはもっと気づかなくてはいけないと、主張する。
とはいえ、著者は単なる白人嫌いのナショナリストではない。むしろ逆だ。「これが正義だ」と声高に語る者ほど胡散臭いと、この30年間、ずっと言い続けている。戦時中の「皇国史観」も眉唾なら、戦後の「左翼史観」「東京裁判史観」も疑う。本著でも、ヨーロッパ主導の歴史を疑いつつ、自説である「唯幻論」すらも「正しいかどうかは分からんよ」と舌を出しているのだ。そして、それこそがこの著者の大きな魅力となっている。
本著はバナールの『黒いアテナ』とは違い、正式な学術書ではない。というより、歴史学者が書いてないという意味では、門外漢が書いたエッセーに近い。しかし、根底に流れる懐疑主義や文化相対主義の「構え」には深い味わいがある。多忙からついつい単眼思考に陥りがちな時こそ、肝に銘じておきたい。
(私のコメント)
2006年3月19日の株式日記でも「黒いアテナ」
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20060319
について書きましたが、日本の学校における歴史教育はGHQが残していった歴史観に染まったままだ。安倍前総理は「戦後レジームからの脱却」という事を目指しましたが、疑い深いアメリカ人たちの謀略により失脚させられた。日本のマスコミが何故あれほど安倍内閣の大臣攻撃を続けたのか? 年金問題も前から問題だったのに安倍内閣で「消えた年金」の大キャンペーンが行なわれた。つまりアメリカ・CIAから日本のマスコミに安倍を失脚させろという指示があったのだ。
読売新聞のナベツネが自民党の新五人組を読売新聞社に呼びつける権力の源泉はどこにあるのか? アメリカのCIAが背後で操っているからだ。何故日本の政治が日本のためではなくアメリカのために行なわれているのか? なぜ安倍総理がブッシュにインド洋における給油活動を約束させられて、ノイローゼになって辞任しなければならないのか? 日本が完全な独立国ならこんな事はありえない。
つまり日本が自由な歴史観を持とうとしても文部省をはじめとして日教組に至るまで歴史教育は自由な解釈は許されないのだ。だから東京裁判史観にいくら異議をとなえても日本の歴史教科書は書き換える事は許されない。東京裁判史観がひっくり返されればドミノ式に歴史観がひっくり返って、アメリカこそ侵略国家ということになりかねない。現在のイラク戦争もアメリカが一方的に仕掛けたのに誰も侵略とは言わないのはなぜなのか?
福田内閣の誕生も宗主国の言いなりになる体制が求められているからだ。小沢民主党がテロ特措法の延長に反対しているが、なぜ小沢代表でなくて安倍総理が辞任させられるのか? それほどまでに安倍総理の「戦後レジームからの脱却」がアメリカの気に障ったのだろう。これは昨日も書いたように分化戦争であり思想戦争でもある。日本の文化人も思想家も左翼に至るまでアメリカ様さまだ。従軍慰安婦問題を見れば分かるように左翼とアメリカは反日で連帯しているのだ。
「株式日記」ではそのような歴史観と戦っているのですが日本では少数派だ。同じ保守派でも親米保守派が中心であり、読売新聞が旗振り役になっている。保守派でアメリカに異議をとなえる人は僅かな人に過ぎない。しかし従軍慰安婦問題でアメリカが下院で対日非難決議がなされたように、日本人が真の歴史に目覚めてもらっては困るのだ。
戦前のアメリカはナチスドイツ以上に人種差別国家であり、優生学の本場はアメリカであった。だからこそ白人でもなくキリスト教徒でもない日本に原子爆弾が落とされたのですが、戦後になってアメリカ人はその誤りに気がついたようだ。しかしアメリカの歴史教育では戦争を早く終わらせる為と正当化している。ならばイラク戦争に核爆弾をなぜ使用しないのか? イランやイラクやサウジアラビアを核攻撃してアラビア人を根絶やしにして石油を独り占め出来るのになぜしないのか?
世界史においてはギリシャ文明から教えるのはなぜなのか? 一応は古代の四大文明も扱われているが、あたかも文明はギリシャから始まったかのような扱いだ。しかし「黒いアテナ」によれば古代ギリシャ文明が突然出来たものではなく、アジア・アフリカ文明の流れを受けたものであり、ヨーロッパ文明至上主義が間違っている事を指摘している。
そもそも古代ギリシャ文明はヨーロッパ文明ではなく東地中海文明の一つだった。しかしユーロッパ文明の起源であるかのような歴史に書き換えられたのだ。歴史は勝者によって書き換えられるものであり、日本においても戦後において日本の歴史は書き換えられて、GHQの命令で7700冊もの焚書が行なわれて戦前の歴史は書き換えられたのだ。
誤った歴史観なら誤ったものとして残せばいいと思うのですが、誤っていないからマッカーサーは本を回収して燃やしたのだ。しかしこのような事は文明国が行うべき事ではなく、アメリカでは進化論すら否定するキリスト教原理主義の国なのだ。だからこそ安倍総理の「戦後レジームの脱却」ということは歴史を書き換えであるとアメリカは警戒したのだ。
ヨーロッパ人やアメリカ人が、このようにアジア・アフリカで傍若無人な振る舞いを続けてきたのは、古代においては白人は被差別民族であり奴隷として使われた怨念があるからだと「黒いアテナ」では言う。スペインやポルトガルの船はイスラムやアフリカの船を見かけるや襲いかかり、アフリカやアジアの王国を次々と滅ぼしていった。なぜ白人国家がこのように凶暴なのかは遠い過去の怨念があったからだろう。
昨日の日記に書いたごとく、戦争が武力戦だけではなく文明戦や思想戦などにおいても日本は負けたのであり、日本はその事に気がつかなければならないのですが、日本が独立を回復した後も読売グループのナベツネや氏家などが見えない検閲体制を続けてきた。ナベツネが自民党の大物議員を呼びつけるのもアメリカの威光があるからだ。
文化というものが共同幻想というものであるならば、日本はアメリカの共同幻想にかけられて思い込まされているのだ。そして古来からあった日本の歴史文化は戦後において書換えられた。そして新しく就任した福田総理は女系天皇を認めて2600年の皇族制度を変えようとしている。そうすれば日本は天皇制の権威は失墜し消え去るという目論見が隠されている。その事に日本人は気がつくべきなのだ。
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