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(回答先: 産経新聞の味方するつもりはないが 投稿者 夏水仙 日時 2007 年 5 月 23 日 18:59:09)
当該報告書は、「1944年9月」に「ビルマ北部」で聴取されたことになっている。
すなわち、「ビルマ北部」にて展開されたインパール作戦が悲惨な敗北に終わり、残る兵力でこれまた悲惨な防衛戦を展開した時期である。
その食うや食わずの、まともな兵站さえない最前線に「民間の慰安所」があったということ自体が「強制」性を疑わせるものであろう。
そんな場所で「契約」が守られるか否かと考えるのも一考だろうね。
少なくとも、そんなところに軍と関わりのない民間人が居残るわけないし、軍の指揮命令下にある「軍属」でも直接に戦闘と関わらない「軍属」は、とっくに撤退しているだろう。
そんなところに「慰安所」があったということは、直接戦闘の関わる「軍属」という待遇だったということ。
軍籍がある「軍」か、軍籍のない「民間人」かの区分は、意味ないことですな。
<参考;ビルマ方面重点の年表>
3月8日 日本軍、インパール作戦開始。
4月17日 大陸打通作戦。(〜12月10日)
6月16日 米軍、中国大陸から北九州へ初空襲。
7月4日 日本軍、インパール作戦を中止。
10月10日 米軍、沖縄、台湾を空襲(十・十空襲)。
10月12日 台湾沖航空戦
10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸。(レイテ島の戦い)
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