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(回答先: まっつぁん、必死です【スタンダード 反社会学講座】 投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 3 月 03 日 12:45:07)
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/goiken5.html
私にとって誤算だったのは、『反社会学講座』が、たった4万部しか売れなかったことでした。たった4万、というところでコノヤロー、と殺意を抱いた著者のかたも多いでしょう。そう、この手の単行本では、1万部売れればかなりのヒット作とされます。無名の新人でも、先生と呼ばれるようになります(私はそう呼ばれるのがイヤなので断りますが)。
『つっこみ力』をくさす意見の中に、『反社会学講座』の成功を思い出せ、というのがあったのですが、あれで成功? うーん……
私自身、『反社会学講座』が増刷を重ねてたころは、天狗になってました。いろんなところが伸びてました。学問の方法論を逆手にとることで、学問の愉しさといかがわしさを世間の人たちに伝えることができたのではないか、と悦に入ってました。
(くれぐれも申し上げておきますが、私は『反社会学講座』で世間を斬り、返す刀で学者も斬ったんです。一部の学者は自分が斬られてることに気づかず、私を勝手に仲間だと思っていたのです。)
しかしあるとき、フト、われに返りました。あれだけネットで支持されて盛り上がっていながら、なぜこれだけしか売れないのだろう? もちろん、買っていただいたみなさんには感謝してますし、内容の大部分がネットでタダで読めるという事情もありますけど、それにしてもたったの4万……。ネットと現実には、けっこう温度差があると知りました。結局、ほとんどの日本人は『反社会学講座』を読んでないし、その存在すら知らないんです。私の主張は、世間一般のほとんどすべての日本人のもとには届いてないんです。それがキビシい現実。
要するに、『反社会学講座』は負けたのです。私はそれを素直に認めました。
そして、それはなぜだろう、と考えはじめました。なぜ自分の主張は、世間に伝わらないのだろう。これが私の次のテーマになったのです。2冊目の本を書いてるときも、ずっとそれが頭の片隅にこびりついてました。
こういうふうに考える人は、あまりいないんです。多くの秀才たちは、現実から目を背けています。彼らは、正しい論理を啓蒙して民衆に教養を広めれば、いつか社会はよくなる、となんの根拠もないのに信じています。最後に愛は勝つ、みたいな。
論理や統計で世間の誤った常識を覆そう、みたいな本は、ひっきりなしに出版されています。それは『反社会学講座』の「成功」にならったのかもしれません。問題は、その手の本は、すべて同じ読者が読んでるという点にあります。その手の本が4冊出て、1万部ずつ売れたとします。では、4万人の人が読んだかというと、そうじゃない。1万人の論理・データマニアが4冊とも買ってるんです。論理やデータに興味のない、一億人以上の一般人は、まったく読んでません。常識が覆ったと喜んでるのは、論理・データマニアの自己満足で、現実には、世間の常識はまったく覆ってません。
論理と啓蒙の方法論が有効であるという保証は、どこにもありません。それどころかソクラテスとかの時代から世界中の知識人たちが延々、それをやってきたわけですよね。2千年以上の長きにわたって。だったらそろそろ、民衆の啓蒙は完成していて、知識人の出番はなくなっていてもいいころじゃないですか。しかし、民衆は相変わらずです。てことは、その啓蒙の方法自体になんらかの欠陥があるのでは、と考えるのが、真の学問的態度です。
すべてを疑え、と賢者はいいます。カッコイイですね。たしかに、学問の各論の部分では、みなさんそれを実践してますけど、学問の方法論、根っこの部分まで疑う人はなかなかいません。だって、そこを否定されたら、彼らがいままでやってきた学問はムダだったってことになりかねませんから。だから、みんな正しさにしがみつき、枝葉の部分の正しさだけを議論して、満足してるんです。
ネットでは盛んに論争が行われている、といいますが、その実態は論争というより、ネットという狭い集落の中で、おのれの知識量と、知識の支持率を競って「正しい」と称してるだけです。たまに集落によそものが入ってくると、そいつの考えを聞き、自分たちの常識と合っていれば、仲間に迎えます。異なる常識を持っていると、トンデモだ、インチキだ、と排斥して追い出し、知の平和が保たれます(ところで、多くの知識人は「トンデモ」を批判の意味で使ってますが、それは『トンデモ本の世界』の誤読で、と学会の用法とは違うのでは?)。
ネットでいくら正しさが議論されて結果が出たとされても、それが世間に伝わることはめったにありません。ネットの議論とやらをのぞいてみると、一般人にはわからない学者語で書かれてます。つまり彼らは、その議論の様子を一般人に読んで理解してもらおうという意識がまるでない。知識人たちは、仲間内で正しさを確認しあうだけで満足してしまってます。現在の「知」のカタチに安住してしまってるのです。
一般人が学者たちのブログを読むことなど、決してありません。まちがってたどり着いても、男子トイレと女子トイレを間違えたときのように、「あっ、失礼」と、あわてて退散します。「詳しくはウェブで!」がCMの決まり文句になるほどネットが普及したはずなのに、ネット上の「知」は、世間と断絶したままなんです。
私はこの状況に満足できません。ネット番長、お山の大将で終わることはイヤなんです。やはり世間一般の学のない人たちにこそ、わかってもらいたい。それにはやはり、本なんです。
世間へのアピールでもっとも効果的な手段はテレビですけど、テレビは自分のいいたいことをいわせてもらえません。ミュージシャンのジャガーのように、自分でチバテレビの枠を買い取って放送できれば、べつですが(現在は放送されてません)。それに、なぜか学者のみなさんは、テレビに出る学者を目の敵にしますよね。テレビは嫉妬を買うばかりで、意外と伝わらないメディアです。
さて、次の課題は、どうしたら世間の人に本を読んでもらえるだろうか、です。それにはやっぱり、おもしろさしかないんです。だから私は、正しさをめぐる論議をよそに、おもしろさで世間にアピールするという、茨の道を進むことにしました。
おもしろくあるためには、わかりやすさも絶対必要です。文章のわかりやすさのひとつの目安は、高校3年生にもわかるかどうかです。なぜなら、彼らは来年、大学1年生になる人たちです。将来、世間を担う人たちです。だから彼らにわかるよう、専門用語や学者文法を排除した普通の日本語で説明できなければ、学問は世間に伝わりません。また、それができない人は、大学教授や講師をやる資格がありません。
そういうわけで、私は正しさの先にあるものを、正しさを世間にアピールする方法を探るべく、おもしろさを追求するという、道なき道を歩き始めました。
社会学や経済学を批判するにしても、私はつねに、大衆に理解できるように書いています。ところが残念なことに、学者からの私への反論は、いつも専門用語と学者文法にまみれたものばかりなんです。説明でなく、知識とお約束の押し売りばかりでウンザリです。
おまえは経済学のイロハも知らないから、理解できないんだ、とおっしゃるかもしれませんが、世間には、その私より経済学を知らない人がたくさんいるんですよ。逆にいえば、この私すら説得できないような説明で、世間の人たちに納得してもらうことなど不可能です。
私の『反社会学講座』が世間に届かず敗北を喫したように、いえ、それ以上にネット番長たちのほうが、完膚無きまでに、世間に負けているんです。というか、彼らは世間から相手にもされてない。すると彼らは、世間の連中はバカばっかりだ、世間知だ、と背を向けて、ますます世間から遠ざかる。こうして専門知は機能不全に陥ります。とどのつまりが、彼らは世間を啓蒙したいんじゃないんです。ただ、偉そうなことをいって自分が世間から尊敬されたいだけなんです。
『つっこみ力』の内容のあら探しをするのもけっこう。私をくさして満足なら、どうぞご勝手に。出る杭は打たれる、と昔から申しますし。でも、それじゃあ、あなたがた知識人が2000年以上追い求めてきた、世間の啓蒙は永久に達成できないと認めたも同然です。21世紀もまた自己満足の世紀を繰り返すだけで終わってしまいます。いいんですか? それで。
純粋な理論や教養は、温室育ちのもやしです。学問は世間で揉まれなければ、いずれ死にます。世間に背を向け、世間をバカにしてる学者こそが、学問を死に追いやっているってことに、なぜ気づかないんですか。『反社会学講座』以来ずっと、学問と世間の橋渡しをしようとしていた私は、だから、世間知なんて言葉を一部の経済学者が使っているのを耳にしたとき、激怒したんです。世間にまともな説明もできない学問バカのくせに、おまえら何様のつもりだ、と。
世間知・専門知などといってる連中には、研究職はできても、教授職は無理です。そういう人が大学や教育機関で教鞭をとっているとしたら、それは学問の発展にとってマイナスでしかありませんので、すぐに辞職して、民間の研究機関にでも転職していただけませんか。そうでないと、教わる側の学生さんがかわいそうです。
しかしまあ、選ぶのは、自由です。これからもネットや象牙の塔にこもり、シロウトを小馬鹿にし、仲間内の尊敬を集め、ちっぽけな優越感を得るだけで満足するか。はたまた、世間にわかるように、大衆にうけるように、学問の真髄を広めるためにはどうするかを探る、道なき道へ勇気ある一歩を踏み出すか。
悪いけど、私はすでに、あなたがたより一歩先に踏み出しました。あなたがたが居心地のよいネットや学問の世界にとどまるか、私と同じ道に歩み出すかどうかのご判断は、各自におまかせします。
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