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こんにちは。パオロ・マッツァリーノです。『つっこみ力』、おかげさまで大好評です。ご購入いただいたみなさんに、そして、販売にご協力いただいた書店のみなさまに、心より御礼申し上げます。書店で自分の本に手書きのポップがついてるのを見ると、本当に嬉しくなります。
初版だけでもちくま新書としてはかなり多めに刷っていただいたのですが、発売2日で増刷決定、あれよあれよというまに(死語?)、4刷りまでいってしまいました。発売週には、三省堂書店、紀伊國屋書店、日販、ともに週間新書売り上げ6位にランクされておりました。ありがとうございます。やっぱり新書って買いやすいんですね。どうりで、出版社がこぞって新書市場に参入したがるはずです。
企画から2年、必死で内容を練り、必死で書き上げました。版元もそれに応えてくれて、必死で宣伝活動をしてくださってます。朝日新聞2月10日付夕刊には、え、こんな大きく、と驚くほどの広告を打っていただきました。日経にも広告出たんですか? 私はまだ見てませんけど。
私自身も発売後、足を棒にして大阪・名古屋の書店を必死に回り、売り場担当者のかたにごあいさつをしてまいりました。先日はラジオにも出演させていただき、慣れないトークを必死でしました。みんなが私にチャンスを投げ与えてくれてるんです。その期待に応えるためにも、必死にやらねば、人間失格です。
みなさんはどうですか。最近、何かを必死にやりましたか――自分のため、他人のために。え、なんです? 必死にやったからって、報われるとはかぎらないからムダなことだ? ああもう、私が『反社会学講座』で、あれほど口を酸っぱくして、スーペー(スーパーペシミズム=超悲観主義)はいけないよ、といったのに、すっかりお忘れになってるかたが多いのには、がっかりです。
ところでスーペーのみなさんにお願いがあります。ご自分のブログでなら、私の悪口をいくらお書きになってもかまいません。しかし、『つっこみ力』を誉めているブログを検索して見つけ出し、イチャモンのコメントで攻撃するという、見苦しいマネはやめていただけませんか。それとも、それがあなたがたの「必死」なんですか? ずいぶん幼稚な言論テロですね。
『つっこみ力』は、『反社会学講座』で足りなかった処世術を加味した現実的な本なんです。この2冊はセットで意味を成すものだと考えてください。論理力やメディアリテラシーといった純粋思考は、現実の社会では、じつは役に立っていないことに着目し、それはなぜか、どうしたら現実の社会で、おのれの主張を世間にアピールし、世間と折り合いをつけられるのか、といったことを考え、そのヒントを提示しているのが『つっこみ力』です。世間に背を向け、世間を否定して、それであなた、どこで生きてくつもりですか。
インセンティブのところはたしかに悪口を書いてます。でもね、私は、インセンティブ理論がそのあいまいさゆえに、なんにでも使える便利なレトリックに堕してしまった現状を指摘した上で、ムラムラ感と改名し、その使用をプラス面だけに限定すべきだ、という、とても建設的・現実的な提言をしてるんです。こんな前向きな悪口がありますか。しかもこれって、本来なら経済学者がやるべき仕事なのに、私がやってあげたんです。それすらわからないのなら、やはり経済学者は裸の王様です。
どうも学問秀才のみなさんは、「知」の純粋さへのあこがれが強すぎるようです。現実の人間って、社会って、薄汚れたものですよ。『つっこみ力』の内容に矛盾がある? あたりまえじゃないですか。矛盾のない本、矛盾のない人間、社会、そんなもんはありませんよ。論理力やディベートみたいに矛盾を排除するのでなく、矛盾を抱えたまま社会をおもしろくしようというのが、『つっこみ力』の精神です。
論理的であるというだけでは、誰も企画を通してくれないんです。自分がこれだ、と信じた企画を実現させるためには、嫌いな取引先にアタマ下げてまわったり、誇張したデータで企画書を飾り、これは売れまっせ、と上司をダマす方便も必要です。サラリーマンはみんな、それやってます。純粋な論理で世の中を動かせるなんて夢見てるのは、学者と学者志望の学生さんだけです。
私が『反社会学講座』で目指したのは、異なる目線から見た常識を世間に投げ入れて、常識を増やすことでした。常識や正しさはたくさんあったほうが、選択の幅が広がり、世の中、楽しくなるからです。
それなのに、どういうわけか、常識や正しさを学問的なものだけに絞って他人に強制しようとする、狂信的な人たちに支持されてしまいました。おのれの正しさが世間に受け入れられないことに憤慨し、知の世界に閉じこもって世間の無知を嗤うことで満足してる情けない人たちのためのバイブルとして祭り上げられてしまいました。
では、そういう知的スーペーのみなさんにお聞きします。あなたの信じる「正しさ」は、社会を良くしましたか。社会をおもしろくしましたか。誰かをしあわせにしましたか。
どれひとつとして実現できてませんよね。せいぜい、正しくない(とあなたが思う)ことを書いてるブログにケチをつけまくって、そこを閉鎖に追い込むくらいのことしかできませんよねえ、へっぽこ先生。
『つっこみ力』を批判するかたの文章から共通して感じられるのは、怒りとおびえです。ただ、みなさん感情的、抽象的なダメ出しに終始してらっしゃる。いったい、何に怒ってるのか、何におびえてるのかを明らかにしてくれません。
はて? この手の批判は、以前にも受けたことがあったような……そうでした、『反社会学講座』の少年犯罪は減っているというネタがネットで話題になったとき、反対派のかたがたが、まさにいまみなさんがやっているのと同じ、怒りとおびえに満ちた批判を投げつけてきました。それは、自分の信じる「正しさ」を揺さぶられた者が歌う恨み節。
もし、本当に『つっこみ力』が無意味・無価値な本なら、これほど私を叩く声は上がらないはずです。てことは要するに、『つっこみ力』の言葉は、みなさんのノドの奥に、小骨のように突き刺さっているってことなんですね。
正しい論理を啓蒙して民衆に教養を広めれば、いつか社会はよくなる、なぁんて盲信してた人たちにとっては、その方法論の限界とごまかしを指摘し、正しさなんてものはほどほどにしといて、おもしろさを重視せよ、という『つっこみ力』のメッセージは、想像以上のショックだったんでしょうかね。
でも、世間の人たちを説得できないような「知」なんて、それこそ屁みたいなもんです。私は、『反社会学講座』の「失敗」を素直に認めて、『つっこみ力』で修正したんです。長くなるので、そのへんの話の続きは、こちらで。
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