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(回答先: クリント・イーストウッド監督 「硫黄島からの手紙」アメリカ人監督によって描かれたこの映画は画期的だ。 投稿者 TORA 日時 2006 年 12 月 24 日 09:42:45)
>昭和の軍人が官僚ならば、部下をいくら死なせても責任は取らずに平気だし、出世欲が強くて中国にも戦線を広げてしまった。大東亜戦争はいわば負ける事を前提とした戦争であり、侍ならば負ける事を前提とした戦いはしない。昭和の時代はすでに武士道は廃れてしまっていたから大東亜戦争が起きたのだろう。
その通り。前回の戦争は、武士道ではなく、靖国的な玉砕精神から生まれたモノ。
靖国神社は、発端は、坂下門事件という玉砕的暗殺事件の実行犯たちを賞賛し、その精神を招魂するために行われた儀式から始まった神社なのです。
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靖国神社の元宮に招魂された46人中29人は要人暗殺グループのメンバー
http://www.asyura2.com/0601/cult3/msg/319.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2006 年 8 月 20 日 06:06:19: SjhUwzSd1dsNg
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文久2年(1862)の霊祭では「特別に祭神が明記されてなかった」ということなのですが、「文久2年12月の霊祭の祝詞」には「或ルは三月に吟行(さまよ)ひ、或ルは正月望に契友(此?)の類の忠士輩を、・・」という部分があり、3月は桜田門事件(1860)の、正月は坂下門事件(1862)の月なので、文久2年(1862)の霊祭の時点ですでにそれらの暗殺グループのメンバーの招魂を意図していたことは明らかです。(http://wiki.fdiary.net/moikomi/?%CA%B8%B5%D7%A3%B2%C7%AF%A4%CE%BA%D7%CA%B8)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8B%E9%96%80%E5%A4%96%E3%81%AE%E5%A4%89
坂下門外の変
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坂下門外の変(さかしたもんがいのへん)は、文久2年1月15日(1862年2月13日)、江戸城坂下門外にて、尊攘派の水戸浪士6名が老中安藤信正を襲撃した事件。この結果、安藤は負傷し、4月には老中を罷免された。
浪士は公武合体運動を推進している安藤信正、久世広周らに対する憤激により実行。直接の原因としては、直前の和宮降嫁とされる。桜田門外の変以降、老中登城の際の警備が厳重となっており、当日も供回りが50人以上いたため、浪士6人はいずれも闘死した。
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