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(回答先: 「エドワード・オルビー 動物園物語」稽古ノート (1) 投稿者 愚民党 日時 2006 年 12 月 18 日 22:21:21)
エドワード・オールビー
動物園物語 稽古ノート(2)
18日、公民館で2007年1月〜3月までの稽古場をおさえてきた。
集中稽古ではなく、1年間をかけてつくるので週2回稽古にした。
稽古場をとるときに、4年前の印刷インク代を請求され、13650円を支払った。
借金を踏み倒すことはできなかった。さすがは行政だと思った。
4年前のデーターが保管されている。
2002年、自分は劇団の制作統括をしていた。俳優として舞台に出たかったが
本番劇場での受付もしなくてはならないので、制作統括に専念した。
チラシ、チケットなどは、公民館の印刷機でつくった。
チケットを「ぴあ」などで、つくってもらう劇団は多い。
チケットとは劇団が発行する独立した交換可能の貨幣でもある。
発行チケットを「ぴあ」などに委託すると、自主独立精神が育たない。
劇団、舞踏団とは毛沢東「人民刻苦奮闘」「土工炉法」精神が必要である。
俳優として最後に自分が出演したのは2001年の秋、「小栗判官と照手姫」
遊行寺本堂公演だった。
2007年12月、「動物園物語」公演は、6年ぶりの舞台出演となる。
「今なお、俳優として舞台に立つ」という執念と根性が重要であると思う。
「もう一度、俳優として舞台に立ってみたい」と決意したのは
2006年9月末、遊行寺本堂での「小栗判官と照手姫」公演を裏方で手伝い、
鎌倉浄智寺野外舞台設営による舞踏公演を裏方として手伝ってからだった。
おらは肥満体になってしまったので、舞踏はもう無理であるが、芝居なら出演
できると思った。
「60歳に舞台に復帰する」と、革のカバンなどを作って、ちいさな工房店
を開いている革職人の旦那さんに相談したら、「それは今からやらないと60歳
には復帰できない」と教えられた。確かに思ったときからやらないと60歳俳優
として6年後に舞台には立てないと納得した。
今度、「動物園物語」をふたりで創る相方は、2年前に母親を亡くし、沈んでいた。
テレビの回想ドラマにも出演した俳優だったが、母親を亡くし、芝居からは身を
引いていた。モノローグの歌などをつくっては電話で聞かせてくれた。
相方が「二人芝居の動物園物語を若い頃にやった」と電話で言った。
「動物園物語」が出来るかもしれないと、そのとき、おらは思った。
相方とは9年前「お笑いコント」の公演を、2回ほどレストランなどでやっている。
そのレストランには音楽演奏、小芝居などがやれる舞台があった。
舞台復帰とはおのれの舞台史の総括でもあり、おのれの俳優術の確認でもある。
身に入った技術、それを「テクネー」という。
テクノロジーとは違う身体からの技術、「テクネー」とは現在進行形なのだろう。
相方がやるジェリーは長セリフが多い。劇を構築していくのはジェリーだ。
相方の俳優術「テクネー」を引き出すことができれば成功である。
戯曲、舞台台本の構造も学んでいきたいと思っている。
小説は散文で劇をひとつひとつ構築していく。
戯曲の場合は、セリフで劇を構築していく。
俳優の身体と音声は「劇的狂気」へと向かっていく。
おらはタルコフスキー監督の映画が好きだった。
「ノスタルジア」世界の危機を説く肥満体の詩人が、ラストに登場した。
あのような俳優になれればいいと思う。
小説書きは、次のテーマが醸成するまで待つしかない。
貧乏生活に耐えながら、おらは表現者として死んでいきたいと思う。
単独性こそ重要である。
セリフを体に入れないと、相方に遅れてしまう。
無料公演でも演者は真剣だ。稽古の総量が舞台では問われ、お客様に身をさらす。
ニューヨークのセントラル・パーク、公園、ジェリーとピーターが出会う
劇的狂気の場所。日曜の昼下がり。
オールビーによる舞台への指示では、ピーターはメガネをかけているが
メガネなしでいこうと思う。ピーターは中流からも労働者階級からも没落した
下流B層の人間として設定したい。
「動物園物語」は21世紀日本、階級意識がすでに死んだ世界となる。
日本国民は檻のなかの動物であり奴隷である、奴隷の陶酔感を味わうためには
階級意識が消滅している必要がある。
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