★阿修羅♪ > アジア7 > 381.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 多分ですが、山田支隊は中島第16師団へ俘虜を移送しようとしていました。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 3 月 18 日 12:49:16)
考察者K さん、こんばんわ。
命令絶対の中でのジレンマの苦しさは察するに余りあります。愛する国を守る使命と人命を尊重する仁性が対立するわけですから。
天皇のロザリオ(鬼塚 英昭)
神々の軍隊 (浜田 政彦)(昔、この阿修羅で奨める人がいたので購入)
敗因を衝く (田中 隆吉)
などの書籍は読んでおりましたので、当時の日本の様子をある一面では理解しています。
私は日本の上層部が皆腐りきっているけれど、下々の国民は真面目に勤労していたからこそ過日または今日の日本の繁栄があると今でも信じています。だからこそ南京大虐殺というのを信じたくなかったのですね。世の中は虚偽と欺瞞に溢れているからそのように脚色されていた思っていたのです。小虐殺派とでもいいましょうか。「目があっても開き盲」って奴です。
私は怪物、モンスターと仲間から邪視され、A級戦犯の癖に刑を逃れた卑怯者といわれ、東京裁判の後、精神を病み、自殺未遂までもした田中 隆吉に非常にシンパシーを感じます。彼が己の良心に照らして真実をあらかさまにしたからこそ、日本は新しい門出をなすことができたのだと思っています。
その東京裁判を批判し「これを破棄しなければ真の日本の独立はありえない」などの考えはそれこそ茶碗の中で虚勢を張っている大馬鹿者だと思います。そのような愚挙は旧連合国すべてに宣戦布告をなす行為だということに気がついていないのです。
私は日本の生きる道は外に事実を喧伝し、内に自主防衛を整えて戦争の闇つくらず、招かないことだと思っています。核装備は理屈は理解できますが世界唯一の被爆国である日本がそのようなことをするのは神意に背くことだと思いますし、旧連合国も許さないでしょう。全世界を敵にまわしてなんで核防衛体制が役に立つというのでしょう。
あと私は本来中国は大好きですよ。中学、高校生の頃に中国古典に多少はまってましたから。司馬遼太郎の「項羽と劉邦」、吉川英治の「三国志」、「十八史略」(途中で挫折)、水滸伝、孫子、韓非子、老子、淮南子、その他PHP系など。六韜、呉子、三略、孟子、荘子、墨子なども持ってはいますが未読。
西洋の空疎な哲学には全く興味がなく(よくわかっていないから私の偏見です)、実利に徹した中国古典哲学が世界最高峰と信じて疑っていません。(驚くべきことに成立はすべて紀元前)孫子、韓非子の類は日本の義務教育で教えるべきだとずっと思ったりもしています。まさにここが日本の弱点(その代り生徒の精神が悪い意味で実利的に堕落する危険もあるのではないかと懸念もしたりしています)
水滸伝の好漢などは半数ぐらい今でも渾名と氏名を諳んじられるのではないかと自負しています。横浜中華街の電柱(街灯)に水滸伝の好漢の看板がかかっており当時、感動的に見学したことを今でも覚えていますし、関公廟に参ったことも記憶にあります。
しかし、中国人留学生があろうことか善意の日本保証人をわずかな金のために殺害した事件があった頃から、彼等の多発した犯罪で悪意を覚え、反日的言動にこちらも嫌中になり現在にいたっているというところでしょうか。
韓国・朝鮮人も同様ですね。犯罪的でなく、合法的に勤労でもって自立しているなら悪意を持ちません。たった一つの犯罪でも取り返しのつかない精神的傷を負うもの多数できうることもあるので、一部のものだからといって許容する気には今はなりません。
また100%の縄張りにお客さんとして暮らす分には問題ないでしょう。縄張りの率には変わりませんから。これが居着くようになり95-5、90-10、85-15と割合が変化してくれば減少している側が恐怖を本能的に抱くのは自然といえる。そうなれば生存本能に基づいて、対立→抗争→殺し合いとなっても不思議はないと思います。だから移民政策は将来の世代に対する無責任だと思うし反対です。異質なもの同士は異質であるから、人々は故郷から離れても必ず帰っていくべきだと思います。人類愛などの理想論は理解できますが、互いに嫌悪を感情を抱きあった場合どう責任を取れるのか。
理想論で説得し続ける?100%で真の和解ができるというのなら、最後まで責任を持ってるやるのか(物質的にはなんとかなっても不倫の最後が必ず修羅場となるように感情的には無理でしょう)
要するに移民政策の類は将来的に精神的対立→抗争→殺し合いとなる可能性がある以上反対です。(自国民が移民を虐待するような姿は見たくはないが、彼らそのような行動を取る理由が理解できる(雇用需要の奪い合いや純粋だった頃のノスタルジー)からどうにもならない)