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当時を知る人々の証言-許文龍(シー・ウンロン)、 小野田寛郎
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投稿者 謝寅 日時 2007 年 3 月 04 日 21:14:18: Bat5keDwZxjsQ
 

(回答先: 日本の公文章から見る、軍の関与-当時の慰安婦募集広告 投稿者 謝寅 日時 2007 年 3 月 04 日 21:11:07)

当時を知る人々の証言

1.台湾の政府最高顧問の知る慰安婦の実態


許文龍(シー・ウンロン)

奇美実業会長、台湾総統府資政(資政=最高顧問)。
第2次世界大戦後、故郷の台湾・台南で、がん具・日用雑貨の製造を始め、
1959年に現在董事長を務める奇美実業を設立。
同社を家電や自動車部品の原料であるABS(アクリロニトリル・ブタジエン・スチレン)樹脂で世界最大のメーカーに育て上げる。


『台湾論』 小林よしのり著 小学館 2000/11/01 231~232頁


慰安婦問題が騒がれた時に、最初にそれは嘘だと言ったのは私でね。
あまりにおかしな話なんで、私は調べたんですよ。
慰安婦を集めて「ホントのところはどうなんだ?」と聞くと「強制連行なんて、そんな事はなかった」と言ってましたよ。
事実、そんなことはありえないんですよ。

日本でも東北の貧しい家に女の子が生まれたら、売って口減らしをしたんです。
台湾でも同じですよ。12~13歳になったら売り出される、当時はそういう貧しい時代だった。

日本軍は人権にも気を配っていたから、軍の慰安婦になれると言ったら、彼女たちにとっては大出世で・・・
みんな、なりたがりこそすれ、そんな強制連行なんてことは考えられないんですよ。
普通、売り飛ばされたら、まともにお金もピンはねで自分の懐には入ってこないし。
病気になったら使い捨てで、その辺に放り出されて、それで終わりなんですよ。
それが当然だった。

それなのに軍の慰安婦になったら、きちんと収入は得られて貯金もできる。
その上、衛生管理はきちんとしてもらえるし、言うことないんですよ。
コンドームだって、普通の女郎屋では、そんなもの着けないんですよ。

とにかくそんなことは、調べればすぐに分かる話であって、なんで日本では誰もきちんと調べて、
そんなことはなかったという人が出てこないのか・・・
謝るばかりで、どんどん話が大きくなっていってしまう。
こういう事は、話が出た時点で、一刻も早く調べて決着をつけないとダメなんだ。


許文龍の発言に対する反響とその後

 2001年2月7日、同書が台湾で出版されると、許文龍氏の発言が問題となり、マスコミからの批判が起きる。

 2001年2月25日、氏は記者会見を開くと、慰安婦を二度も時代の荒波にさらす結果になった事を謝罪する。
 しかし、氏は「慰安婦は父母に売られた婦女子だ」と改めて強制連行を否定。
 この記者会見と否定発言の内容は、中国紙「人民網日本語版」(2001年3月2日)でも取り上げられ、さらに批判される。
 他方、台湾の新聞・聯合報は、


台湾の新聞・聯合報(28日付)

 屏東県里港郷に住む90歳の蘇嘉謨(元医師)さんは27日、 60年前に海南島に3ヵ月いた経験に基づき、「彼が知っている慰安婦は、多くが自主的なもので、許文龍氏の発言は部分的には正しい」と証言した。


 と、当時の慰安婦を知る医師の証言を記載し、許文龍の証言を支持。
 同日、台湾の高雄市にある医者と教授の団体「台湾南社」は、許文龍氏を応援する為、書店で『台湾論』を大量に購入する。

 なお、台湾で許文龍氏の発言に対する支持・批判の声が起きる中、日本のテロメディア・朝日新聞(2001年3月3日東京朝刊)は、許文龍氏は、『台湾論』に記載された自分の発言について「そんな発言はしていない」と主張したと、記者会見の内容と大きく異なる内容を報じた。

*台湾(中華民国)=元は、1885年に清国が新設した台湾省に属す、東アジア・太平洋の西岸に在る台湾島を中心とした地域の名称。
日清戦争後、日本が割譲し、1895年4月17日から1945年10月25日まで、日本が統治を行った。
日本から独立後は、大陸から戦いに敗れて逃れてきた国民党政権の支配を受けた。
現在の台湾は、「台湾の主権は大陸(中国共産党)に帰属すべきだ」という泛藍連盟派と、「主権は大陸には属さない」と台湾の独立を望む泛緑連盟派に別れ、対立を続けている。



2.フィリピン軍司令官に「軍隊における忠誠の見本」と讃えられた小野田寛郎が語る慰安婦の実態


小野田寛郎

1922年和歌山県海南市に生まれ。
1942年、現役兵として歩兵第61連隊に入隊。
転属等を経て、陸軍甲種幹部候補学生に合格、陸軍予備士官学校に入学、卒業後、当時軍の上層学校だった陸軍中野学校二俣分校へ入校、情報将校として育成され卒業する。
1944年12月、フィリピンのルバング島に着任。
終戦を迎えても、その事実に気づかず、密林にこもってゲキラ活動を展開。
二人の部下が戦死した後も、たった一人で任務を遂行。
戦後30年の歳月を経て、1974年3月9日、かつての上司・谷口義美元少佐が任務解除命令を出した事により、ようやく帰国。
帰国後は、すっかり変わり果てた日本社会に馴染めず、ブラジルに移住。
2004年12月17日、ブラジルで、サントス・ドゥモン勲章を、更に2005年11月3日、藍綬褒章を受章。

『正論』2005年1月号「私が見た従軍慰安婦の正体」

◆漢口の「慰安所」を見学

 商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。
(中略)

 私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。

 群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。

 半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」、「精神決めてトットと上がれ。ネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。


◆どこにもいなかった「性的奴隷」

 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねばならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。

 私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。

 彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。

 先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。

 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。

 当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。
(中略)

 「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性(さが)が存在するからだ。

 「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。



3.韓国側の研究者による慰安婦問題への批判の声


韓昇助 高麗大学名誉教授 正論4月号 2005年

 水準以下の左翼的な心性の表れのひとつに従軍慰安婦の問題がある。共産主義世界では、性も革命の武器として活用せよという言葉がある。

 太平洋戦争中に韓国人女性が日本軍の性的慰安物として利用されたといって、謝罪と賠償を要求し続けている様は、日本を奈落に突き落としてしまおうとした自分たちがむしろ先に落ちるという「邪悪さと愚かさ」の代表例ではなかろうか。

 戦争中に軍人たちが女性を性的慰安物として利用するのは日本だけのことではない。日本が韓国の女性を戦争中にそのように利用したということも、戦争中の一時的なものであって例外の現象だった。そうした戦争の犠牲者が数万、数十万だったのであれば5W1Hの原則に従った明確な証拠を探し出し、正式に議論しなければならなかった。

 しかしそんなに多い数ではなかったのに、そのような辱めを受けたと云う老婆を引き連れてきて誇張した事実をふりかざし何度も賠償金を要求する。こんなことが高尚な民族のふるまいといえるだろうか。

 韓国の新聞や放送は何故このような老婆たちの行動や反日感情を刺激する記事を熱心に報道するのか。性の問題は金にかえらえぬことだというのに、なぜ金の問題と結びつけてまで恥さらしを続けるのか。このような恥さらしをしてどうして偉大な民族であると言えるのか。


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