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http://news.livedoor.com/article/detail/3550286/
脱北女性「夢は子どもの戸籍を買うこと」(上)
2008年03月12日16時43分
中国・汪清から車で30分の場所にある開山屯に住むソンファちゃんは、今年で4歳になる。17歳で豆満江を渡って来た母と、当時32歳だった朝鮮族の父の間に生まれた。しかし母親の顔は写真でしか知らない。ソンファちゃんが1歳のとき、母親は家を飛び出した。大都市の丹東に出稼ぎに行くと言い出て行って以来、これまで電話の1本もよこしたことがない。父親は畑に出かけ、80歳を超えた祖父母が子どもたちの面倒を見ている。中国語と韓国語、どちらも十分には話せないが、母親の写真を取り出してしきりに自慢する。これは自分のお母さんだと。父のひざの上で無邪気にはしゃぐその子に記者は尋ねた。「お母さんに会いたくないの?」。それに対して4歳の女の子は「きゃあ」と悲鳴を上げた。「お母さんというだけでいつもこう。何も話さないのです」と祖母が説明してくれた。父親がたばこを取り出した。「この子に戸籍があれば学校にも行かせてやれるのだが、母親がいないのでどうしようもなく…」
9歳のオクピョンちゃんは目がパッチリした少女だ。薄い黄緑色の上着に赤いマフラー姿のオクピョンちゃんは、大きな目に涙をいっぱいためていた。この子が笑顔を見せるのは母親と共にいるときだけだ。まわりはよくこう尋ねる。「そんなにお母さんがいいのか」。オクピョンちゃんは返事の代わりに泣く。それには訳がある。
オクピョンちゃんは脱北者の母と体が不自由な父と共に延吉郊外に住んでいる。腎臓の持病を持つ父は母を5000人民元(68万ウォン=約7万3000円)で買い取った。彼女は3カ月か4カ月ほど働いて金を稼いでから故郷に戻るつもりだった。しかし人身売買が母親の夢を打ち砕いた。北朝鮮では大学まで通っていた母。しかし川を渡ると同時に人妻となった。
オクピョンちゃんが3歳になると、母親に対する家族の監視の目が緩んだ。母は塀を乗り越え、豆満江沿いで33日間潜伏しながら川を渡るチャンスをうかがっていた。故郷に戻ろうとしていたのだ。しかし母は帰ってきた。「行こうと思ったけどオクピョンの顔が浮かんで…」
オクピョンちゃんは母親が少しでも見えなくなると不安になる。そのため一日中母親のそばを離れようとしない。「お母さんがいなくなったらダメだから」。そのためオクピョンちゃんの担任は心配している。この子はなかなか中国語が上手にならない。「母親が脱北者なので中国語ができません。オクピョンはいつも母親と一緒なので、中国語が上手にならないのです」。何とか頼み込んで小学校には入学したが、中学校以上に進むのは難しい。
2007年9月25日。秋夕(韓国の旧盆)に出会ったオクピョンちゃんの母親は金を稼ぐために働いていた。オクピョンちゃんは母親のそばをうろうろしていた。家族を養う母の1日は苦労の連続だ。早朝3時に起きて朝食の支度をする。畑に出るのは4時。昼食の時間まで腰を伸ばすことはない。午後6時まで働き詰めで、布団に横になるのは夜10時だ。「口からひどい口臭がします」
それでも母親はオクピョンちゃんのことを思って1日を耐え抜く。「わたしにも母がいます。今日は秋夕ということもあり、とても母に会いたい。でもその代わりに娘をながめます」。母親はオクピョンちゃんをどのように育てたいのだろうか。「特別なことがあるでしょうか。中学校にでも行ければいいのですが」。夢は非常に素朴なものだ。オクピョンちゃんの戸籍を買いたいという。値段は5000人民元(約7万3000円)。1年働いて4000人民元(約5万7000円)貯めるのも難しい。「時々こう思うことがあります。子どもを産んでも安心して育てられないなら、祖国に残るべきだったと…」。母親を見つめるオクピョンちゃんの目にはまた涙があふれていた。
特別取材チーム