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いじめは私たちの中にある No.100【2006年12月1日】
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/061201.htm
自殺原因 再調査も 文科相 いじめ問題隠ぺい体質認める
伊吹文明文部科学相は二十日、衆院文部科学委員会で、文部科学省の調査では、全国の公立小中高校生のいじめによる自殺が、一九九九年度から二〇〇五年度まで一件もないことについて「自殺の原因は多重的で特定は難しかったと思うが、あまりに実態離れしている」と述べ、調査の内容に問題があることを認めた。
その上で「自分がいじめられたと感じ、自分を理解してくれる人がいない場合はいじめだ。個別に問い合わせてみてもいいと思う」と述べ、再調査に乗り出す考えを示唆した。
また、池坊保子文科副大臣は「今までは学校も、教育委員会も(自殺の原因が)いじめらしいと思えるものは隠ぺいしてしまった。なるべく表に出さない風潮があったのは確かだ」と述べ、学校現場や各自治体の教育委員会に、隠ぺい体質があることを認めた。
この日の委員会では、社民党の保坂展人氏が「九九年からこれまでに、新聞報道だけでも二十八件がいじめによる自殺と疑われる」と指摘するなど、同省の調査内容を疑問視する声が相次いだ。
文部科学省によると、同省は都道府県教育委員会、市町村教委を通じ、各学校の報告内容を集約する。自殺の原因では「学業不振」「友人との不和」「いじめ」「厭世(えんせい)」など、あらかじめ選択肢が示され、各学校が選ぶ仕組みになっている。
■ 教育再生会議でもいじめ解決議論を 首相が見解
安倍首相は二十日、学校現場のいじめによる自殺が相次いでいる問題について「(問題解決には)学校、家庭、地域で取り組んでいくことが必要だ」と述べた。その上で、十八日に発足した政府の教育再生会議でも、いじめ問題の解決策について議論を進める考えを示した。
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(貼り付け終了)
■物質文明が生み出した「いじめ」
いじめ問題が毎日のようにマスコミで騒がれているが、猫が自分の尻尾を追いかけているような具合に、本当の問題に触れることはない。現在の日本に於ける「いじめ問題」とは、いったい何を意味し、どんな見えない歪みが隠されているのだろうか。原因の本質はいったい何処にあるのだろうか?
私の考えでは、答えは簡単である。すべては私たち大人に原因がある。子供は、何もわからずに、ただ大人の真似をしているだけなのである。大人である私たち社会人が子供たちにいじめを教えたのである。たとえそれが無意識に行なわれたものであっても、大人である私たちの責任であることにはかわりがない。
戦後生まれの私たちは、アメリカがつくり上げた厚化粧の民主主義と個人主義の中で、使い捨て文化と欧米至上主義プロパガンダを刷り込まれて、いつしか大人になっていた。日本的文化や繊細な情緒を劣った価値観のように刷り込まれ、モノと論理を中心とした物質文明こそが高度に洗練され、幸福の象徴であるかのように、私たちは教育されてきた。
日本的な繊細さや品格を大事にするものは、劣った負け組とされ、小泉構造改革が象徴するような郵政民営化や、国際金融勢力にとって好都合な三角合併解禁等の構造改革が進行する流れのなかで、ほんの一部の企業だけが勝ち組となる無意味な改革が実施される。国際金融勢力の言いなりになって構造改革した国家で成功したところは、私の勘違いでなければ、この地球上の何処にも存在していない。
日本的な伝統や価値観が崩壊する流れの中で、私たち大人そのものが、ちょっとした思いやりや優しさを失いつつある。いつしか私たちは、電車の中で誰かが乱暴を働いていているのを見ても見ぬふりをしたり、人さえ見ていなければ、つい自分のゴミを放置してきてしまったりしている。
たぶん、私を含めて、私たちの中から何かしら大切な基軸が失われてしまったのかもしれない。私たちのお婆ちゃんやお爺ちゃんたちは、身の回りのものすべてを大切にし、自然や太陽等の自然の豊かな恵みに感謝し、神仏やご先祖様の霊や仲間を、自分以上に思いやっていたような気がする。彼ら共同体の生活の日々は、ご先祖様の守護霊や自然の神々によって守られていた。現代人のような孤独や不安はなく、平凡ながらも、毎日が単純な生の喜びに満たされていたように思える。
■いじめ社会構造の深い意味
いじめ社会は、物質文明の大量消費システムの「歪(ひずみ)」によって間違いなく生み出されたのであり、勝ち組負け組の二極分解も、有名なスティーブンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』のハイド氏のように、本来は「ひとつ」であったはずの身体が、物質文明の非情な価値観によってまっぷたつに切り刻まれてしまった結果として発生してきている。
平和で自由であるはずの私たちの社会が、実際のところ、抑圧されたいじめ社会構造になっている。行き過ぎた市場原理主義と小泉構造改革によって、効率の悪い「思いやり」や「優しさ」や「伝統的情緒」等は、負け組よろしく、あっさりと使い捨て去れる運命なのである。「いじめ社会」構造とは、弱いもの、はかないもの、無駄なもの、お年寄り、負け組、フリーター、地方、無抵抗な障害者等を踏みにじり、切り捨てていく恐ろしい社会である。
私たち大人は、そのことに気づいて、方向転換しなければならない。そのことに多くの大人が気づけば、日本の未来はまちがいなく変わる。私たち現代の日本人にとって、一番大切なのは、周囲に対する思いやりであり、優しい気持ちである。そのことに私たちひとりひとりが気づけば、日本の未来は大きく変わる。そうなれば、日本の未来を幸運に導くことが可能となる。
私たちの身の回りに起こることは、すべて私たちが招いている、と私は信じている。もちろんこれは私の個人的な考えであるから、変なことを言う人だと思ってもらって結構。信じられる人にだけ信じてもらえば、それでいいのである。
「私にとって身の回りに起こることはすべて意味のあることだ」と、最近考えるようにしている。いろんな体験を繰り返しているうちに、少しずつそんな風になってきたようである。そんな風に身の回りに起こることは、すべて自分にとって意味のある情報であると感じると、なんだか身の回りの出来事や出会いに対して、自分の分身に接するような不思議な気分になれる。
■自分の身の回りに起こることはすべて自分に原因?
そんな風な流れの中で、「自分は悪くないのに、どうしてこんな不運なことが起きるのだろう…意味がわからない?」というようなことが起こった時、私は困惑しながらも、反射的にその意味を探る態勢を自分に課す。そして「これらのことにはきっと深い意味がある。自分に欠けている何かしらの暗示が隠されているのかも…」と、あえて隠された意味を探すようにしている。
何故なら、その行為こそが、私の人生を「幸運」へと導いてくれる鍵だ、と私が勝手に信じているからである。結果として、その「隠された意味」のなかに、多くの場合、私自身のエゴイズムを発見することになる。私の中に潜むエゴイズムを発見する度に、私は、周囲に対して少しだけ優しくなれる。いじめを失くすには、このささやかな思いやりを、私たち大人が、深く自覚するしかないように感じる。
いじめ問題は、基本的にいじめる側の「こころの闇」が問題なのだと思う。私たち現代の日本人は、物質文明のありあまる物と過剰消費のなかで、目に見えない先祖や血のつながりや霊的な世界等を、あまりにも蔑ろにしてきた。私たち人間は、物質というよりは、むしろエネルギーなのである。宇宙を構成しているエネルギーの「かけら」であると同時に、唯一の中心でもあるわけなのである。
もう一度言うが、自分の身の回りに起こることはすべて自分に原因があり、100%自分が招いたことなのである。私たちの身の回りに起こる出来事すべてにさりげない優しさを持てるなら、私たちをいつも守っていてくれる宇宙の守護霊の存在に、私たち大人は、いつしか気づくようになる。そう言った価値観は、私たち日本民族のなかに流れる神道への思い等に、まっすぐ繋がっているように感じる。
そのことに私たち気づけば、私たちの社会からいじめ問題は消滅してしまうはずなのである。
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