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http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/11/232__405e.html から転載。
>>日々通信 いまを生きる 第232号 2006年11月23日<<
発行者 伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/
いじめと教育基本法
いじめによる小中学生の自殺が相次ぎ、衝撃をあたえている。
いじめは昔からあった。
アメリカやヨーロッパの国々にもある。
いじめの様相はさまざまだろう。
しかし、強者、もしくは多数派が、弱者、もしくは少数者をいじめるのが普通だ。
いじめといえば、私は軍隊を思い出す。
軍隊の制裁はいじめではなくて、教育だったという人がいる。
皇国の軍人を育て上げるための訓練だったという人がいる。
彼等はそう言っていた。彼等は天皇の名において、僕らを立派な帝国軍人にするために、天皇にかわって僕ら新兵を殴った。
根性を叩き直すのだと言って殴った。
しかし、私は彼等が抑圧された軍隊生活の鬱憤晴らしに天皇の名をかりて殴ったのだと思う。
殴る係りの上等兵の多くは貧農の出身で、当時の社会では恵まれない階級だった。
彼等は現社会への鬱憤を新兵に対する暴行ではらしているのだと私は思った。
多分、彼等は前線ではもっとも「忠良」なる兵士として戦い、アジアの人民に暴力を振るったことと思う。
イラク戦争での米英軍の市民に対する暴行が伝えられる。
米英軍の兵士たちの多くは貧困階級の出身だと伝えられる。
アメリカのある貧しい家庭の子供が、学校ではその貧しさの故に差別され、イジメの対象になるから、学校には行かないと言い、軍隊にはいって学校へ行く資格を得たいと言っていた。
戦争のためには貧富の差が必要なのだ。
もちろん、貧しい階級の出身で軍隊にはいり、戦争の矛盾になやみ、退役後、反戦運動に参加した若者も多い。
また、アメリカの軍隊で多数の自殺者が出ているニュースもあった。
アメリカの軍隊が高校で入隊勧誘の派手な運動をしているのをBSニュースで見た。
日本の自衛隊も憲法を変えられ、戦争に参加することになると志願者が減り、活発な勧誘運動がはじまるだろう。
映画「地上から永遠に」を見て、アメリカの軍隊の初年兵教育が日本と同じく苛酷なものであることを知って驚いた。いまの米軍ではどうだろう。
日本の自衛隊の苛酷な<訓練>で自殺した兵士のことが伝えられたることがあった。
軍隊は格差社会を基盤にしていて、軍隊内部では、差別とイジメが横行しているのではないか。
そもそも、強大国の弱小国に対する侵略行為の根柢には差別とイジメの意識があるのではないか。
アブグレイブその他の暴行は、人種差別の意識とイジメの衝動なしには考えられないことだ。
私の掲示板の投書者にイジメは決してなくならないと主張する人がいた。
彼は愛国者であり、中国朝鮮を侮蔑し、対朝鮮戦争を主張するような人だった。
昔の日本にはたしかに中国朝鮮に対する侮蔑の意識があり、在日の中国・朝鮮人は差別とイジメの対象になった。
小学生のあいだでは、チャンコロなどという言葉で日本人の子供が日本人の子供をいじめた。
いま、イジメがはびこり、そのために自殺者まで出すということは、日本社会が全体的に格差社会化がすすみ、弱者を侮蔑し、いじめる傾向が強まっていることと無関係とは思われない。
その根柢には、人間の尊厳を主張し、個人の権利を重視する教育基本法の精神が軽視されてきた教育の現状があると思う。
元来、日本で強調されたのは愛国心であり、挙国一致の行動だった。
そしていま、教育基本法が変えられて<愛国心>が強調されることになるとすれば、いっそう差別やイジメを強めることになるだろう。
愛国心の教育ということで、テレビが実際の授業の様子をを放映していたが、先生は生徒たちに日本のいい所について考えさせていた。愛国心は日本を誇る心と結びつくのだろうか。
それはまた、他国を蔑視する心につながりやすい。
日本がいかにまずしく、いかにみにくくても、これを愛するのが祖国を愛するということではないだろうか。
日本の光栄を誇る愛国心は戦争中の愛国心だ。
祖国が敗北し、家を焼かれ、飢えに苦しみ、当てもなく廃墟をさまよい、焼け跡の浮浪児に何もしてやれなかったあの頃、私の心に日本を思う心が、戦争中にはなかったはげしさで湧いた。
もし、戦争がつづいていたら、私は日本を憎み、日本にそむき、中国の人民のためにつくしたいと思ったにちがいない。
くらい日本を愛する心は、くらいアジアの国々を思う心だ。
イジメの氾濫するこの世に生きて、私はイジメを憎む心を養われた。私は他国を侵略する強大な軍事国家を憎み、侵略されて苦しみ悩むアジア・アフリカの人民の苦悩を思い、解放のための民族闘争を支持する。
私は教育基本法を変えて、愛国心を強調するという人々に反対する。彼らの愛国心はくらい日本の現実を直視し、その改革を求める愛国心ではなくて、日本の現実を美化し、肯定し、自国の優越性を誇る愛国心だ。侵略した日本を肯定し、美化する愛国心だ。私はこんな<愛国心>に反対する。
国を愛する心は自然な感情だ。誰から教えられる必要もない。おさえtもおさえてもおさえることのできない感情だ。
<愛国心>が強調されるとき、それは、個人の上に国をおき、国のために個人を犠牲にすることを求めるのだ。それは弱者を否定し、自己をあくまでも強者たらしめようとするのだ。それはイジメをなくすより、イジメを強める。
いま必要なのは、いままでなおざりにされがちだった現行「教育基本法」の精神に立ち返り、日本の教育を根本的に再検討することだと思う。
若干体調をこわして発行がおくれた。
沖縄選挙のこと、中学・高校が必修科目を履修させなかったこと、いじめについても、愛国心、教育基本法についても、まだまだ書くべきことは多い。
いま、遠藤周作の「女の一生」第2部について書いていて考えさせられることが多かった。
戦争に反対し、人を殺すことを拒みながら、戦争に動員され、特攻隊員として死んだ青年のことを書いている。
主人公修平は遠藤周作と年齢や経歴で重なることが多い。
修平も周作も、1923年生れだ。私より3年上のこの世代は徴兵猶予が廃止されて、1943年に学徒動員された世代だ。
吉田満、島尾敏雄、阿川弘之、安岡章太郎がほぼ同年だ。
私が「戦争と文学」でこれらの作家の作品について書いたものを読んでいただければ幸いである。
第3の新人などといわれたが、学徒動員、特攻隊の世代と呼んだ方が適切なのではないか。
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/a%20sensou.htm
いまの若い世代は、もう、こんな思いはしないですむようにと祈るばかりである。
しかし、そんな私が自虐的といわれ、反日と呼ばれる。私は景気のいい愛国心には反対だ。
「三四郎」に次の言葉がある。
「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」と云った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。だからことによると自分の年齢の若いのに乗じて、他を愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例の如くにやにや笑っている。その癖言葉つきはどこまでも落付いている。どうも見当が付かないから、相手になるのを已めて黙ってしまった。すると男が、こう云った。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であったと悟った。
「三四郎」の末尾では、広田先生は光り輝く劇場に背を向けて、黒い外套と帽子で、くらい夜の中に消えていく。
いま、あらためて漱石が思われる。
秋はすこしぐずついているようだ。
お元気でお過ごしください。
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