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(回答先: 「美しい国」の階級的考察 投稿者 竹中半兵衛 日時 2006 年 11 月 14 日 01:43:41)
>戦争できる国さ脱皮すてどだら美しい「国」がでけんだべ?
>日本「国」っつう概念もブルジョワジーが人民ば支配するための便宜上の形態でありそいが幻想であることは、いまや世界中の人間(実体は被支配階級としての労働者)が反戦・平和運動では一致すて戦争キチガイの権力者さ闘いば挑んで、すがも一定の成果ば勝ち取ってることからすて、明らかだべすた。そうでねえっつうような見解はしゃねおら。反戦・平和運動が国境を越えて連帯すてる事実とすて存在すてんだす。すてみると、人間社会ってのは、社会的にも世界的にも、明らかに存在するブルジョワとプロレタリアがその実体だっつこった。
戦前は一ファミリーへの忠誠が主でしたが、戦後は象徴天皇制となり、名家や多国籍企業、軍需産業、ゼネコンなどの寡頭支配は言葉の上では後景に押しやられて見えない状態になっています。今でもサウジアラビアはサウド家のアラビアであり、ヨルダン・ハシミテ王国はハーシム家のヨルダンであり、ネパールもモロッコも北朝鮮もシリアもそのような支配であると思いますが、日本の場合は議会制民主主義の建前なので、より抽象的な国への帰属意識が持てるような段階に思います。戦後の民主化は名誉革命のようなものだと思います。もちろん、政治家の姓を見ると麻生、平沼、細川、安部と言った戦前由来の姓も多いですが、これは日本に限ったことではないと思います。
世界統一政府どころか、現在の国民国家の段階で十分広すぎるし、利害の異なる人々を民族的でも階級的にも「我々に違いはない。元々一つなんだ」と強引に主張しているように思います。アフリカや中東の国境線を見れば、現在の国境線などは世界統一政府の州に過ぎないように思います。元々古代の奴隷主や中世の封建領主の支配の手段でしかなかった国家は、大企業の寡頭支配によって「全国民」が一致団結して守る神聖不可侵なものになりました。いくら単純に考えても、少し考えれば行政と大企業と下請企業とユーザー・従業員・住民の立場が完全に一緒になれる訳はないのですがね。
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