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(回答先: 東京探訪:「眠らない街」新宿の楽しみ方 [朝鮮日報] 投稿者 white 日時 2007 年 4 月 29 日 22:17:44)
□東京探訪:日本的な「見栄」とオーバーな対応 [朝鮮日報]
http://www.chosunonline.com/article/20070429000023
記事入力 : 2007/04/29 14:45:46
東京探訪:日本的な「見栄」とオーバーな対応
日本の美術館ではボールペンが使えない?
最近、主に海外の観光庁を広報するマーケティング会社のイ某部長と会った。お互い日本に行ったときの話に花を咲かせた。「どこで何を買った」と並べ立てるのでは恥ずかしいので、ある程度文化的なことを前面に押し出そうという30代以上の間では、数年前から「日本に行ってきた」といえば、「六本木ヒルズの森美術館に行きましたか?」「行ってきましたよ」という会話が後に続く。また1月以降は「六本木の国立新美術館に行きましたか?」がお決まりの話題となった。
「あそこのレストラン、美味しいでしょう? アートショップもなかなかいいし。でも、あまりにスタイリッシュすぎる気もします(このような話し方をするのも“文化的”であることを自慢しようとする人たちの特徴)」「最近の美術館はファッションのようなものでしょう。大型ショッピングモールや住居・商業施設の複合ビルを成功させるのに、美術館は確実に格好がつく道具ですから」。こうして見ると、今年3月にできた東京・六本木の複合施設「ミッドタウン」も、サントリー美術館と建築家・安藤忠雄が設計したデザイン展示場により、「われわれは(ショッピングモールが入った商業空間ではなく)文化空間」だとひそかに主張しているようだ。「有名建築家を前面に押し出した最新美術館に行くたびに、足が痛いから“もうこの辺で”とギブアップするまで絵を見続けるヨーロッパの美術館に行きたくなります」
「美術館はやはりヨーロッパ」「ニューヨークもいい」「そう、そう」といった会話が続ける中、イ某部長が発した一言。「わたしは新美術館で絵を見ながらボールペンで手帳にメモを取っていました。そうしたら突然警備員が駆け寄ってきて、“ボールペンは使わないで”というのです。何かの失敗や事故で作品が損傷してはいけないから、という理由のようです。そして、とてもきれいな鉛筆をくれました。木目をそのまま生かしたデザインで珍しかったです」
あれ? そう言えば、わたしも美術館で鉛筆をもらったことがある。数年前、森美術館で“Viktor & Rolf”の服を前面に出したファッション展示会を見に行ったときのこと。“展示はそれなりに良かったが、とても商業的だ”と知ったかぶりをし、手帳にボールペンで“やはり森は商業的”と書いて太線を引いた瞬間、警備員が近づいてきて鉛筆を差し出した。“ペンさえ使わせないなんて”という苛立ちは、指ほどの太さのプラスチック・ケースの中に鉛筆の芯が差し込まれた、わたし好みのデザインを見たとたんに消えていった(スイスなど、一部ヨーロッパの美術館でも鉛筆をくれるという)。
「展示場では観覧客にボールペンの使用を控えるよう案内している。ボールペンを発見したときには、止めさせるのではなく、鉛筆を差し出す。しかしこの時客に渡す鉛筆は、何の変哲もないただの文房具や謝恩品、汚かったり特徴のないものではだめだ。美術館なら特別なデザインの鉛筆を提供しなければならない。昔からそうだったように」。このような対応の仕方が面白い。こうした日本的な見栄と「オーバー」な対応が、旅行の一味違った楽しい記憶として残っている…。
チョン・ジェヨン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS