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前に「あっしらさん」と論争した事がある。
あっしらさんは「Kの相続税清算案」に対し「国家の増税を許す案は許されない」と云うような主旨の反論をした。
一部の人は「国」もしくは「国家権力」を「悪」と思い込んでいる。
Kは「必ずしも、それは正しくはないだろう」と思う。
「国」もしくは「国家権力」という物は「本来、中立・公平」なものだろうと思う。
「愛国心」というのは、本来は「国民が持って当たり前」なのだろうとも思う。
「国に憎しみを持つ国民によって形成された国」が「良い国」になる訳はないだろうとも思う。
問題は「愛国心を明文化さぜるを得ない国」など愛せる訳がない
と
実感として「国民を愛していない国家権力が暴走し始めている国」と見えるという事
と
今の日本は「一部の国民の生存権を切捨てる方向で一部の人に必要以上の富の集中を許す国」となっている点である。
「本来、中立・公平」であるべき「国」もしくは「国家権力」が、本来の姿に見えないから、愛せないのである。
生活者にとって暮らし難い国をも「愛する」と云う人はいるだろうが、「国」は「善」ではないのだから、「ふるさとへの郷愁」というような「感情」か「帰属意識」と言うような「思い込み」だろうと思う。理屈より先に「好き」だから「好き」なのだろう。
逆の意味で国もしくは国家権力が「嫌い」という考えが先に来る人がいる。
「どのような増税であっても国家権力の増大に繋がるので、許すべきではない」
改竄と言われるかもしれないが「Kはあっしらさんの反論をそう解釈した」
Kの案は「死んだ金持ちから、生きている内に使いきれなかったお金を返す制度」を構築すれば「累積赤字も怖くない」という物である。
Kの考えでは「使い切れない銭を貯め込む、銭の餓鬼道に陥っている者」がいるから、経済が歪むのだろうと思う。
ブルジョアを金持ちとするならば「金を使う目的で金を集める者は許される」だろうと思う。必要だから集めるのは当然であり、使うのなら「澱む事は無い」
許すべきでないのは「集めるために貯め込む餓鬼」だろう思う。
しかし、生存権を奪うほどではないから「死んだら、引き上げる」
実際問題「Kの相続時清算方式では、5億円程度の上限によって一般の庶民で親の面倒を見ていれば、減税になっても増税にはなり難い(親の面倒を見なかった者は別)」
是正されるのは「人生において5億円以上の余剰金を貯め込んだ、銭の亡者の無駄」だけである。
多分であるが、その時のあっしらさんには「国は悪」という先入観があったのだろうと思っている。
国に「問題意識を持つものは国を憎むという先入観が先に来るようになる」
これは「思考の罠」になり「国は悪との憑き物」になりやすい。
多くの場合、問題があるのは「運営している人」と「制度」に起因する。
場合によっては「受け取り側の無知」の場合もある。
基本的には「国に対して国民は好意的に協力するのが望ましい」
「みんなの生活する場所をみんなの協力で、少しでも住み良い環境にする」というのはある意味当たり前の事である。
みんなで足を引っ張り合っていたら「住み良い環境も破壊されてしまう。」
しかし、今現実としてある日本国は「住み良い国」から遠ざかりつつあると言うのが実感でもある。
これは「国は悪いもの」との先入観が先に立って「そこから思考が出来上がる」と云う人が多くなっていると云う部分も起因しているのだろう。
国を憎んでいる人によって、作られた国は良い国とはならないだろうと思う。
イデオロギーによって作られた国は「そのイデオロギーに反対する人の生存権を認めない国になる」だろう。
それは「今のKが阿修羅の中で孤立する状況に似ている」と思う。