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(回答先: Re: 専従活動家は労働者じゃない。テロ活動をする余裕がない人々をプロレタリアというのです。 投稿者 パルタ 日時 2006 年 12 月 05 日 20:11:33)
>バルタさん どうもです。
なかなか良い考察だと思っています。(ただし、Kの基準においてと云う意味で、そのKの基準そのものが非常にあやしい部分ではあります。)
特に
>【労働組合とは本来、政治活動に関わるべきではない組織なのです。何故なら上記のような党派活動家と労組幹部と労働者の利害・思惑は必ずしも一致しないからです。】
とか
>【労働者階級は何を望んでいるのか?「人殺し」ではなく、「雪下ろし」を楽にすることではないのか?労働者階級はブルジョアジーへの「妬み」ではなく、「寝たい」という要求を持っているのではないのか?】
そして
>【究極の民主主義とは党派の支配を離れた、自由な個人の意思に基づくものでなければならない。しかし、未だに日本も政治活動は党派レベルにとどまっているのである。
自分の言葉が発せられない限り労働者は解放されないだろう。】
と云うあたりはKが言いたい事そのものという気がします。Kもそれと同じような主張を過去に行ってきていますが、労働者は既存の思想団体から距離を取って、自らの言葉で不満を発しなければなりません。
ただ
>【Kさんのように日本の労働者階級には、台湾や韓国、インドネシア、フィリピンのような政権交代が起きる前から「革命が起きたらどうしよう」と思う人も相当います。】
と云うのは少し違っています。Kは革命は今の日本の不満レベルでは起きないだろうと思っていますが、仮に起きるだけのパワーが蓄積されるほどに「弱者や労働者階級への迫害が進んだ」として実際に革命が起こるレベルの不満の蓄積があったとしても「革命がおきたらどうしよう」ではなく「革命の後はどうするのだろう?」という考えを持ちます。
多分ですが「革命後は革命を行った労働者層から新労働者層と新支配派層が生まれ、互いに憎しみ合うだろう」と思っています。
憎しみより生まれた体制は「新たな憎しみと対立を生む」と云う気がするのです。
他人を駆逐するという思考ではなく「他人の苦労や事情を思い遣る」という思考からでないと良い社会は生まれないと考えています。