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(回答先: <省エネ無用−−−養老孟司07年逆説の暴論>「早く石油を使い切れ!!」(AERA(’07.1.1−8)) 投稿者 まさちゃん 日時 2007 年 1 月 10 日 16:13:43)
養老先生の提起していることは”人類にとっての幸せとは何か”という哲学的な問題ですね。
まず現代を”石油文明”であると規定している。
具体的には、1)今まで人間がやっていた仕事を機械(石油)がやるようになった。
2)そのため多くの人間がやることがなくなってヒマになった。
現実には、豊かになった人たちは大抵寝るヒマもないぐらい働き、自分にとってなんら関心の持てない部分的な仕事をやっている。その一方には圧倒的多数の「ヒマだが貧乏な人たち」が、主に低開発国の都市のスラムに流れ込んでいる。
そしてほんの一部の人たちだけが、ヒマで豊かな暮らしを享受している。昔は王侯貴族階級であり、今は金持ち階級である。
「ヒマだが貧乏な人たち」は、かつてない惨めな状態に置かれている。なぜなら、生きがいも、生活手段も奪われたからである。
中間層は、一方に、自分もヒマで貧乏な状態に落ち込んでしまうのではないかという恐怖があり、もう一方に、今そうでないとしても、もしかしたら金持ち階級に成れるかもしれないという”希望”が、限りなく0に近いがある。そのために馬車馬のように働いている。
そして日本人は中間層としてかなり成功して、かなり豊かになった。生活は昔の将軍さまぐらいになった。だが余暇はほとんどなきに等しく、いくら働いても金持ち階級にはまずなれない。彼らががんばればがんばるほど「ヒマだが貧乏な人たち」が増えていく、新たに作り出される仕事はそうした人々を吸収できない。結局稼げるポストはごく限られており、特権的な地位であり、仕事の中身よりも、ポストとそれに付随する収入やステイタスの獲得が生きる目的になっている。
養老先生は石油を前提としたこうした社会生活が、哲学的に見ると決して多くの人に幸福をもたらしていないとおっしゃっているので、石油がなくなること<だけ>で人類が幸福になれるわけではないことは言うまでもないでしょう。
ですがいったん王侯貴族の生活を味わった人が、質素な生活の幸せを理解することは限りなく難しいかもしれません。それができた例外的な例がお釈迦様なわけですが。