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(回答先: 出してくる例がなんかおかしいですよ。 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 21 日 19:10:36)
おかしくはないだろうと思いますよ。
とは言え、書いても無駄でしょうから、要点だけ書きます。
「賛美歌に不起立」して受ける評価は「あの人は変人」という評価でしょう。
その評価は「肯定して、受け入れるべき」ではありませんか?
自由権は存在したとして、「周りに合わせない事によって生ずる不利益は他人からの判断行為です。」
また、この行為が式典妨害に当たるかどうかは「不起立した人が決める項目」ではないでしょう。
あくまで、主催者側の判断です。これは、君が代不起立でも同じです。
音楽の授業の合唱はファシズムとは無関係で、式典での斉唱だと「なぜ、ファシズムに陥るのか?」は論証が必要でしょう。音楽の授業においても「この歌は嫌い」だから歌いたくないという自由はあってもおかしくないでしょう。
管理職(校長とか教頭先生)の本文は「授業をする」事ではなく、職場の規律の確保と式典などの対外的な部分を成功裡にとり行う事ですから、一般教員とは「違う任務を持っています。」
内心の自由云々ではなく「勤務時間中は部下に指示命令権があります。」
これを放棄すれば「職務放棄」でしょう。
なお、一般企業では「上司の職務命令違反は解雇理由になり得ます。」
>【>職業選択の自由が保障されている中で、菜食主義者が肉販売に関わるということ自体、おかしな仮定だと思います】
と言うのは、「君が代が歌いたくないならば、教員と云う職業を選択する事が疑問」という部分に重なりますが
「菜食主義者が確信犯として、肉食文化に抵抗するために就職する」のは許されるかという部分まで考慮する必要があるでしょう。
宗教・文化によって「神聖な動物」も様々です。個人の良心に基づいて「規律を破壊されては混乱して迷惑する人も出る」でしょう。
問題は、heartさんの視点は常に「抵抗する側」に固定されていると云うことです。
イラクの抵抗戦士の抵抗に巻き込まれた「市民の視点」すらも軽視されています。
アメリカに「主たる責任がある」としても、抵抗がなければ「犠牲も無かった」のですからイラク抵抗戦士にも「従たる責任がある」とは全く考えようとしない。
heartさんは知らないかもしれませんが「自動車事故」が発生した場合、ほとんどの場合、双方の過失度合いが「それぞれの車体の弁償義務となります。」
「悪いのは相手側」と主張しても「停車していた場合などの一部の例外を除き、2割とか3割の過失があると判断され、その部分は相手の車を損害賠償する義務が生じます。」
自分の意見が間違っていないと言うのは誰にでもある「思い込み」でしょうが、存在する視点に拒否反応を示す(論理的な思考を停止させ、視点そのものを否定する)のは、Kの方ですか?それとも、heartさんとその仲間の方でしょうか?
良く考えてみることですね。