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思考のモメント
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投稿者 如往 日時 2007 年 1 月 21 日 10:01:41: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: 価値観はどこから生まれるのでしょうか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 1 月 19 日 19:51:39)


 ワヤクチャさん、今日は、横レスにて失礼します。
 今回のスレの趣旨が人々にたいする自問の喚起であると受けとめています。それは、パンを与えられサーカスに興じて、檻に囲まれている現実を見失ってしまっている人達への警句でもあるでしょう。


 >価値観はどこから生まれるのでしょうか?

 問いとしての正確さを規するためには『価値観はなぜ生まれるのでしょうか?』とした方がよいかも知れません。とは謂うものの即座に一般的な解が得られる訳ではないでしょう。けれども、価値観ありと自認するのであれば少なくとも自問自答が可能です。特殊な解でしかありませんが、個別的にはそれをモメントとする他には手立てはないのかも知れません。
 そして、何故自身の価値観(思考のバックグラウンド)が形成されたかと謂えば、原因の第一には現象を感受し、感受したことの或る一定量を記憶に留める脳の機能(能力)を有したこと、第二には事象(現象)の遭遇の模様(インパクトの度合)が挙げられるでしょう。さらに、問題意識の中心部分である価値観はこうした脳機能と現象との関係性の反復や積み重ねによって強化されていくものではないかと想っています。

 >価値観が強い人と弱い人がいるのは何故なのでしょうか?何等かの体験によって強固な価値観を持ったのでしょうか?
 >例えば「平和を希求する気持ち」はどこから生まれてくるのでしょうか?人間の命が尊いと思う気持ちが平和を希求させるとしたら?何故人間の命が尊いと強く思う人と希薄な人がいるのでしょうか?

 「価値観が強い=価値観に固執」する主たる原因には体験の衝撃性もしくは記憶の濃密性が関係していると想われます。勿論、68年から71年にかけての出来事は自身の思想形成にとっても重要で衝撃的な体験でしたが、それよりも価値観の形成のベースになったと謂えるのは小学校低学年の頃には其処彼処に残っていた戦後を象徴するような原風景に接したことであり、僅かな期間であってもその中に生きたことではないかと思っています。
 その頃、生まれ育った県庁所在地の駅頭では傷痍軍人が弾くアコーディオンの物悲しげな音色が聞こえて来て、県庁の裏通りや繁華街の入り口には行き交う人達の様子を伏し目がちに窺う物乞いの姿が絶えることがありませんでした。私の家は仮にも豊かであるとは云えなかったのですが、巷に貧しさが露わなることや世間から見捨てられた人達がいることに言い知れぬ不可解さを覚え、時には恐怖さえも感じました。その一方では定期的に渡される定額の小遣いはありませんでしたので、仲間と一緒に建築現場や解体現場から鉄屑を拾い集めて来ては古物屋さんに売り、夏はアイスキャンデー、冬は野菜コロッケを買って皆で食べるといった日々でした。
 やがて、私の場合には不可解さは後に疎外感から不条理感へと、恐怖は後に社会的問題に対峙することへと転化し、さらに問題解決志向へと繋がっていくことになるのですが、価値観の形成過程においてそれがどう強化されるかは個別の能力や体験の衝撃性が密接に関係していると想われますので、一概に語ることは難しいと感じます。しかしながら、たとえ些細なことであっても実際に体験することやそれが繰り返されることは思想形成のベースとなりうる価値観の組成として重要ではないかと考えています。

 >例えばどのような教育をすれば平和を求める人間の育つと思いますか?戦争の悲惨さを伝える事ですか?私には何かの論理の獲得が必要であるように思われます。戦争のような事で死ぬのはまっぴらだとか。

 戦争の悲惨な現実を見聞することは戦争のもつ不条理について考えるための重要な導入部になりますし、とりわけ自身の立場に置き換えてみたりして論理的思考が加わることによって原因究明の意志の発芽と強化とに繋がっていくことでしょう。

 >価値観の土台に論理があるような気がします。「人を殺してはいけない。」という事を基礎にした論理体系とか。その論理体系こそが人間にとって大事な事なのではないでしょうか?

 むしろ、「人を殺してはいけない。」が当初は情緒的な色調の強い価値観であっても、多くの批判[criteria]に晒されながらも論理的に克服され、そうしたプロセスを通じて再構築されていくことが肝要だと考えます。まさしく、駒場の助教授だった昔日の西部邁が語っていたように「感性を練磨し論理を鍛錬」していくことではないでしょうか。そして、そのためには「仮説(論理的に)−検証(実態的に)」のプロセスを反復していく他に方途はないのではないかと想われるのです。

 また、会いましょう。

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