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(回答先: バカばかりになってしまった日本の未来は? 投稿者 考察者K 日時 2006 年 11 月 25 日 10:26:25)
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu132.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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人間のスキルとしての本当の「頭のよさ」というのは、記憶力
や知識量とはほとんど関係ないのかも知れません。
2006年11月25日 土曜日
◆第229回 女の子がおもう「アタマがいい」 理系のための恋愛論
http://journal.mycom.co.jp/column/rikei/229/
今日は、女の子が好きだと思う「アタマのよさ」について考えてみることにします
Cちゃん(24才)は、某電機メーカーの研究所で働いている女の子。久しぶりに学生時代の友人から連絡があって、
「会社の人と飲んでるんだけど、来ない?」と誘われました。大学時代は男子ばかりの学部にいたものの、ここ数年、彼氏のいないCちゃんを気遣ってくれているようです。
もともとそんなに飲み会や何かが好きなわけではないし、人見知りな性格でしたが、友人の誘いを断るのも悪いので、飲み会の席に出かけていくことにしました。
友人のSちゃんは、広告関係の会社に就職していているせいか、飲み会の席にいる男の子たちもおしゃれで服装にずいぶん気を遣っているような華やかな人ばかりです。最初は緊張していたCちゃんでしたが、社交的な性格のSちゃんが、ひとりひとりに紹介してくれて、何とか気持ちを落ち着けることができました。
すると、トナリの席に座っていた髪の長い、茶髪の男の子が話しかけてきます。Cちゃんは何とか返事をしつつ(自分からも何か話しかけないといけない)と思い、話の糸口として、
「どちらの出身ですか?」
と聞いてみると、その茶髪の男の子は、
「えっ? 東京ですけど」と笑いながら答えました。
「いえ、あの、出身地じゃなくて大学です」「あー、えーと××です」
と彼は有名な私大の名前を挙げました。その後も、話しかけてくれた男の子に次々と、
「どちらの出身ですか?」攻撃をしていると、Sちゃんが、
「ちょっとトイレに付き合って」
といって、Cちゃんの腕をぐいぐい引っ張って歩きはじめました。トイレに着くと、Sちゃんがマジメな顔でいいました。
「ねえ、なんで初対面の男の子にいきなり出身大学を聞いたりするわけ? お見合いババアじゃないんだからさ。そういうのって失礼じゃないの? どこの学校出てるかなんて、どうでもいいじゃん」
Cちゃんは驚いて目をぱちくりさせました。
「えっ? でも、男の人って、みんなそういうこと聞いてほしいものじゃないの?」
「はっ? そんなことないよ。もう社会人なんだから、仕事ができるかどうかを見るべきで、いつまでも学歴に頼ったりしないよ」
「そうなの? うちの会社の人はみんな入社するとどこの大学のどの学部に何年いて、みたいな話からはじまるけど。私なんか、トナリの部署の人の出身中学もぜんぶ知ってるよ。みんなうれしそうに自分の出身校の話をしてくるから」
「ええー。それおかしいよ。学校を出て何年も経っても、いまだに自分の出た学校の話にしがみついてるなんて。おじいちゃんの昔話しならしょうがないけど。そうか、いまだにそういう人もいるんだね……」
Sちゃんにそういわれてみると、たしかに自分が今している仕事の話よりも、何かというと自分が出た名門校の話を持ち出してくる人というもいかがなものか? という気がしてきました。
その後、仕事をしながら職場の人をジーッと見るようにしていると、仕事がうまくいっていないような人、もしくは人の気持ちがわからず、イタイ言動をしている人に限って、学歴のことをひけらかしていることに気がつきました。
その度に「もう社会人なんだから、仕事ができるかどうかを見るべき」というSちゃんのことばを思い出し、今度彼氏をつくるときはそういうところも見るようにしよう……と考えるCちゃんなのでした。
個人的に私は、勉強ができる人が好きです……というと、女性の友人からは非難ごうごうです。女の子のいう「アタマがいい」は勉強ができる(高学歴)ではない場合が多いもようです。
「いやー、信じられない。勉強ができるからって、アタマがいいとは限らないじゃん」
「勉強ができる人が仕事できるとは限らないよ」と、よく女友だちから注意されます。
けれど、むずかしい勉強を理解できる頭脳があるのなら、他のことも吸収し、学んでいける確率は高くなるはず、というのが私の持論であります。
女の子のいうアタマがいいは、とてもむずかしくて、「場の空気を読める力」「やさしさを見せる力」「教養がある」「車の運転がうまい」「地図が読める」「知的な趣味をもっている」などがふくまれているような気がします。
これらすべてを求められたら、だれだって困ってしまうかもしれませんが、このうちのふたつみっつを持てれば、というのでしたらそんなにムリ難題ではないと思います。
女の子のいう「アタマがいい」は、恋愛する上だけでなく、生きていく上でもとても必要な要素であると思います。このコラムの読者の方は、きっと勉強ができる方が多いと思いますので、「なるほど、こういうことも必要なのだな」ということになれば、習得するのは早いはずです。
男性のみなさんは、女の子のためだけでなく、社会のためにもぜひとも「アタマのよさ」を身につけてほしいなと願わずにおれない私です。
◆本当の「頭のよさ」とは? 11月24日 地政学を英国で学ぶ
http://geopoli.exblog.jp/
私が今まで見てきた少ないサンプルの中で思うのは、日本の学者の「頭がよい」というのは、いわゆる「記憶力がよい」ということや、「幅広く知っている」ということがあると思われます。
たとえばロンドンに安全保障関連の会議で招かれてきた日本の某有名大学の学者たちですが、彼らは自分たちが本当に関心のあるトピックについては、圧倒的に細かいところまで知っております。
ところが彼らの発表を聞いていると、全く面白くないのです。これはなぜか。
私が見るところでは、彼らは「よく知っている」というだけで、独自の分析や意見というものがないのです。
いや、もしかしたらあるのかも知れませんが、こちらまで伝わってこない。
もちろんこっちの学者でも「もの知り」というだけで、分析の面白くない人もおります。私の受けた授業のドイツ人の女性の先生が、今考えてみるとどうやらそういうタイプでした。
つまりよく調べているし、とにかく幅広く知っているのですが、聞いてて面白くないのです。
ところが私の先生をはじめとして、LSEのC教授などの世界トップレベルの人たちは、知っているということだけでなくて、その材料の料理の仕方がうまいのです。
これを簡単にいうと、日本の学者というのはスーパーマーケットか八百屋みたいなもので、品揃えと新鮮さはバッチリなんですが、あまり料理をしない。
ところがこっちの優秀な学者は、鉄人級の料理人なわけです。
しかし私の独自の考えでいくと、学者(および人間)にとって、本当の頭のよさというのは、実は知識や分析などを超えたところにあります。
じゃあ人間にとって本当に「頭がよい」というのはどういうことかというと、実は
「判断力がある」
というこの一点に絞られてきます。
大学受験を勝ち抜いてきた人間、とくに私の周りではコースメートの韓国人の海軍少佐がその典型なんですが、彼らは非常に記憶力がよい。
しかし彼らが本当に「頭がよい」のかどうかは、かなり疑わしいといえるでしょう。
たとえばいくら知識や学力があっても、ベトナム戦争の泥沼へとアメリカを引きずり込んだ「ベスト&ブライテスト」のような人々もおりますし、最近は東大出身のキャリア官僚がスキャンダルで失脚という、なんともアホな話も聞きます。
また、学者の中でもすばらしい業績を上げつつ、私生活では最悪、というパターンもありそうです。
私は戦略系の文献を読んでいて感じるのですが、人間の本当の「頭のよさ」というのは、絶体絶命の切羽詰ったプレッシャーの中で、どういう判断ができるか、というところに現れてきます。逆に知識がじゃまになる場合だってあります。
ただしこれは戦闘場面などの話でありまして、日常生活においても、人間はいろいろな判断を下さなければならないわけです。
そういう意味では会社の社長をはじめ、集団組織の長、そして政治家、とくに一国の運命を担う首相とか大統領というのは、日々これ「決断」の連続であり、本当の頭のよさを求められている職種であるといえるでしょう。
もちろんこのような職種をこなすには記憶力とか知識というものは重要なのかも知れませんが、人間のスキルとしての本当の「頭のよさ」というのは、記憶力や知識量とはほとんど関係ないのかも知れません。
そういうことを戦略学系の文献を読んで感じる毎日であります。
(私のコメント)
以前の株式日記で東大の女子学生が公明党が与党である事を知らなかった記事を紹介しましたが、東大生ががり勉ばかりして世間知らずの常識しらずのまま、社会にエリートとして送り出される事は様々な問題を将来引き起こす元になる。
一例を挙げれば偽メールに引っかかった民主党の永田元議員は、東大卒の大蔵官僚出身のエリートだった。永田町では偽メールのような怪文書がよく出回るところなのですが、世間知らずのお坊ちゃま議員は怪文書を本気で信じてしまった。このように常識知らずはエリート人間にも見られる。
しかし選挙などで候補者の経歴で東大卒とか元大蔵官僚とか書いてあると票がよく集まる。だから国会議員には東大卒が非常に多い。「理系の為の恋愛論」というブログで若い女性の「アタマがいい」人物論は「アタマがいい=高学歴」ではないと書いているのですが、実際にはC子さんのような女性が多い事をものがたっている。
一般的にも一流大学出て中央官庁や一流企業に勤めるエリートサラリーマンには、良家のお嬢様からの見合い話が殺到している。このように上流社会が自然と形成されていくのでしょうが、世間知らずのまま純粋培養された社会が出来ると自然と彼らも防御本能を働かせるようになる。
このような事は日本よりもヨーロッパの貴族社会や上流社会のほうが深刻な問題だろう。本人の能力よりも生まれや育ちで選別されてはその社会は立ち遅れる原因となる。「本人の能力」をどのように見分けるかは、日本においては長い間学歴で選別する事が続いた。
明治以来の「欧米に追いつき追い越せ」と言う目標がある時代にはそれは非常に有効に機能した。いわば先進国と言う教科書がある時には高学歴の秀才は非常に役に立つ。しかし日本が先進国の仲間入りした後の1980年代以降では学歴秀才は大きな壁に突き当たって閉塞した社会になってしまった。
ならば欧米ではこのような問題をどのように解決しているのだろうか? とは言っても欧米でも日本以上の学歴社会であり、アメリカでもMBAの資格を持った秀才が持て囃されているが機能しているのだろうか? MBAと言うと学歴と言うよりも弁護士や公認会計士のような資格であり、実践的な教育が行なわれている。
しかしMBAの資格を持ったビジネスマンが会社の業績を上げているのかというと完成した領域に限られてしか能力を発揮できない。日本でも戦前の軍部などが秀才中の秀才を集めてエリート教育をして参謀にしたが、知識の偏った教育が日本を誤った方向に導いていってしまった。
アメリカでも「ベスト&ブライテスト」がベトナム戦争に引きずり込んだように、この問題は世の東西を問わない。生まれや育ちで選別するのも間違った方法なら、学歴で選別するのも万能ではない。ならばどうして人間の能力を見分けて選別すればいいのだろうか?
例えば経済や政治から文化芸術について論ずればわかりやすいと思う。優れた芸術家は学校で養成されるものではない。東京藝術大学を一番で卒業すれば優れた芸術家といえるのかといえばそうではない。音楽家にしても優れた演奏家は養育して選別できるかもしれないが、優れた作曲家は教育では養成出来ないのだ。
先進国になるにつれて高学歴者の需要は高まり、そのような社会を維持して行くには高学歴化は絶対必要条件だ。しかし学校教育でトップクラスを選別していけば社会的な指導者が養成できるものではないと言う事であり、「地政学を英国で学ぶ」のブログでも書いてあるとおり学校秀才が「アタマがいい」と言うことではない。
たしかに記憶力があり知識が豊富だと「アタマがいい」ように見える。日本にはこのような人物がじつに多い。しかし彼らに正解のない問題などに突き当たった時には知識や記憶力は万能ではなく弱点をさらけ出す。正解のない問題を解決する為には創造性や独創性が求められて、それらは芸術的な才能を求められる。
だから本当に「アタマのいい」人を見分けるには、芸術的鑑賞能力を試してみた方がいいのかもしれない。がり勉ばかりしていると芸術的鑑賞能力は衰えて、「理系のための恋愛論」のC子さんのように「アタマのいい」人を見分ける能力も衰えてしまうのだろう。
また「アタマがいい」とはべつに、賢いかということは大きな問題ですが、「アタマがいい」ばかりに知能犯罪に走る馬鹿者が増えてきた。ホリエモンとか村上ファンドの村上世彰のような東大出の人物ですが、欧米にもこのような人物は多い。広い意味ではこのような人物は「オオバカモノ」と言うべきだ。