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こんな記事があった。
http://www.stv.ne.jp/tv/dnews/past/index.html?idno=20061213202221&query_start=11
格差社会が進めば、人は「人間として生きていく事ができなくなる」、Kはそんな気がする。
営業としてノルマを達成するということは、一種の押し売りをしなさいと言うことである。
それが出来ない人は職を失う。
また、職を奪うと言う選択を求められる事になる。その決断が出来ぬ者は自らの職を失わざるを得ないという立場に追い立てられて就いているのだろう。
職を失った時に待っているのは「餓死」
職にしがみ付いて待っているのは「過労死・過労自殺・精神性疾患」である。
人は豊かさを追求した事と引き換えにして「のどかさ・平安」というものを失いつつある。
競争社会という概念が、弱者の生存権を切り捨てるようになってきている。
誰が悪いのか?誰が悪かったのか?
そのような問いをする人の気持ちも分からない事はないが、既に存在する社会を作り上げたのは、全ての人に一定の責任があり、今は責任の追及よりは「改善」が先であろう。
どこを、どのように変えたら、自殺しないで生きられる社会にできるのか?
法で「個人を縛る」という事は必要最小限度にすべきである。
法で縛るのは「集団・組織」の横暴を縛るべきであろう。
最も、強く縛るのは「暴走する国家」であるべきである。
「共謀罪」などという国民相互密告制度を通してしまうと「酒場で愚痴を言う」と言う自由すら規制されると言う方向になる。
方向性が真逆である。