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(回答先: 経済至上主義を変革してゆく為の法律の制定 投稿者 haru 日時 2007 年 1 月 14 日 20:25:52)
haruさん、こんにちは。
今年もよろしくお願いいたします。
>1 地球環境こそが最重要である。
>に大いに賛同いたしましたので、拙稿ですが今書いたものをここへ紹介させてくださ>い。
>西欧思想の根底にある考え方は、所謂人間的な視点ではなく、神と同体化したと錯覚>した者の視点からの人類に対する観察、考察が多くはないでしょうか?
更にその神は自然を支配する神であったと思います。
人間の力では自然には太刀打ちできないので自然を統御する絶対者としての神と通じているという事をもって人間に自然を自由に加工し支配する権利が付与されたと傲慢にも思ったのです。自然を観察するに留まらず自然を操ろうとしたのです。モーゼが海に道を作ったという法螺話が典型ですね。一介の人間にそんな超能力を与えてしまったのですよ。人間は万物の霊長になり植物を栽培し動物を家畜にして肥え太ってきました。それに対する反乱が狂牛病となって象徴的に現れたのです。人類学者のレビィ=ストロースが言ってました。
>彼らは、自分がこの地球上に組み込まれた歯車の一つであると云う思考方法は取りま>せん。まるで自分は食事もせず、排泄もしないかの様な聖人性を持った視点からの物>言いが多いように思われます。
確かに実在するのは「この自分の意識だけだ。外界にあるように見えるのはこの意識によって制御すべき対象に過ぎない。」と思ったのです。デカルトの「我思う故に我あり。」もこの範囲内の意識でしょうね。
>従って、多分に観念的であり人間の傲慢さを併せ持ったものが多いように感じます。
そうです。「はじめに言葉ありき。」です。言葉が全ての創造者であり、存在は言葉(イデア)が現実化したものに過ぎないって感じです。ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する。」とか養老孟司の「唯脳論」とか同じでしょうね。
>社会には多くの矛盾が存在しますが、それは資本活動というものが前提にあるが故で>はないでしょうか?
「はじめに資本ありき」ですよ。貨幣というのは実は単なる信用に過ぎません。貨幣には使用価値はないからです。にも関わらずそれに使用価値と同等の交換価値を認めるという離れ業をやってみせているのです。資本が蓄積され始めた時からおかしな倒錯が始まりました。資本のすねをかじらなければ人間は使用価値を手に入れられなくなってしまったのです。貨幣としての実態すらなくコンピューターのデータ上でのみ存在する資本によって人間が支配されるようになりました。
>勝者が存在する為には敗者が存在しなければならないのは必然です。
>矛盾への対処法としてバランスという言葉を用いますが、これもまた、矛盾を生みま>す。バランスを最優先とする考え方が欠落しているからです。
経済学者は資本家の一人勝ちに対する対処方を色々と考えてきました。
税制における累進課税とか独占禁止法とか福祉政策とかです。
しかし、利子というものがある以上は資本家の優位は中々揺るぎません。
ゲゼルは減価する貨幣というものを考案しこの事に対する1つの対案を出しました。
いつかは消滅してしまう貨幣というものを作ったのです。
貨幣をためるという事を不可能にしたのです。
イスラム教も利子を取る事を禁じているので資本家の成立を阻害してきました。
その為に皮肉な事にイスラム教国では資本主義経済の発展が遅れました。
でも、そもそも資本主義経済が最良の経済であるかどうか自体疑問なので1つの実験として評価すべきでしょう。
マルクスは資本主義の発展の結果としての社会主義というものの必然性を唱えました。
しかし、この経済システム発展モデルが最良であるかどうかは分かりません。
特に生産力主義という点では資本主義も社会主義も共通する価値観を持っており環境の視点からすると果たしてこの方向が正しいのかは疑問です。
社会主義は生産力の発展の担い手である労働者階級が実現する社会だとマルクスは言ったのでした。
生産力の発展に対するバラ色のイメージをマルクスは持ってしまっているように感じます。まあ、歴史的な制約があり、その意識に留まったのはやむを得ないとは思いますが。
>現代に於いて、人類は発展を遂げ、あらゆる自然の障害を克服し、それに打ち勝って>きました。そして、現代人は沢山の行動による結果と云う、法則、理(ことわり)を>知るに至りました。同時に、科学というものが様々な地球の法則を解明してきまし>>た。
>一部の利権者がリードする今の世の中は、我々が知り得た法則、理から大きく逸脱し>ている事は多くの人が語っております。
そうですね。過去の惰性で動いているのです。本人達にその事の問題点を理解させようとしても「自分にとって不利益に思える事」には耳を貸そうとはしないでしょう。
>しかし、法によって、この地球のあらゆる場所が資本活動の中に組み込まれてしまっ>たようです。
資本主義の価値観の上で組み立てられた法体系ですので。
>もはや、お金というものに係らずに生きていける場所はどこにもないといっていいで>しょう。
無いでしょうね。
>法が我々を縛っており、その法は政治家が作ります。
>そして、我々はその政治家を選ぶ権利を保有しております。
>改憲論議が巷にはありますが、地球の保護を大前提にした法律を掲げた国はどこかに>ありますでしょうか?
私は知りません。憲法の中に地球環境の再生を明記すべきですね。
>と、、調べましたら、、こんな本を見つけました。
>対訳 地球憲法第九条 (単行本)
>チャールズ・M. オーバビー (著), Charles M. Overby (原著), 国弘 正雄 (翻訳), >桃井 和馬
>http://www.amazon.co.jp/dp/4813318851
>未読ですが、、面白そうです。
ですね。
地球憲法を作りましょう。
>人類には、新しい法律が必要ですが、それは、権力者を排し、環境保護と平和を第一>に掲げたものでなければならないと思っております。
地球環境再生と戦争を廃止する為の政治権力が必要だと私は思っております。
これらの事は強制しなければ改善されないだろうからです。
>その為には、経済至上主義を変革してゆく為の法律の制定が求められるのだと思いま>す。
何の為の経済なのか?という視点を入れた法体系が必要だと思います。
全ての人に平等に使用価値が分配されるような経済システムと法体系が必要なのです。
それは生活協同組合の国際組織から生まれてくるものであると考えます。