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(回答先: 大量に生じるの“自尊心難民”たちをどう手当していくか? 投稿者 まさちゃん 日時 2007 年 1 月 10 日 11:59:16)
まさちゃんさん、如往さん、こんにちは。
大いなるものとの一体化を求める心象は、日本にまだ個人主義が十分に根付いておらず、いまだ集団主義的であることにもよるのかもしれないと思いました。
学校ではいまだに
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「独裁者」の命令によりロボット集団が織り成す「秩序」;「必要以上の秩序」を理由に強制に反対する権利はあるのか?
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1160.html
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のような集団教育が行われていますし。
しかし、
【まさちゃんさん】
>自分の持たないスキルを持つ他人をリスペクトし、自分の身に付けた能力において自分も他人からリスペクトを受ける。
>そういう相互承認的関係の中での集団的な作業を通じて“協働”ということを身をもって理解させる。
>こういう経験を学校時代に子供たちにドンドン積ませるべきです。
そうですね、協働は身に付ける必要があると思います。
単に集団で群れて長いものに巻かれろ式に行動することと、協働ということとの峻別が、今の学校教育ではできていないのではないかと思います。
単に、昔からの名残で集団主義が続いているという面もあるとは思いますが。
【まさちゃんさん】
>国旗、国家を強調する人達は、愛国心を高揚させることによって、国家との一体感に自尊心の依りしろを求める後者なんでしょうな。
>そこでは国旗や国家は国家との一体感を高めるための、言わば「装置」なんですよ。
>一般大衆に自尊心を供給する方法の方向性を誤る、
>つまり国家や宗教などの“大いなるものとの一体化”によって自尊心を一般大衆に供給する回路が開かれると、
>多いに危険だと考えています。
>現在、時代の大きな分岐点にあるというを感じがしています。
国歌・国旗のようなただのシンボルや「大いなるもの」に自己を売り渡してしまい、代わりに、人権の制限を受ける、という、ダブルに自虐的な人々が今以上に大量生産される恐れがありますね、このままいくと。
大いなるものに巻かれることをよしとする人はいいかもしれませんが、そういう価値観でない者にとっては、暗黒の時代になってしまうと危惧しています。
【如往さん】
>基底的な部分での日本国憲法の本義である“人権思想”と“公権力にたいする制限規範性”の復権が要諦となるのではないでしょうか。
下記は別のところでも引用したものの一部なのですが、下記を読んで、集団主義が「“人権思想”と“公権力にたいする制限規範性”の復権」を妨げているのではないかと思いました。逆に言うと、集団主義というのは、権力者にとって都合のいいイデオロギーであり、安倍もそれを目指しているのか?と思ったりします。
個人主義を根付かせる必要があると思いました。
《参考》
以下、『憲法学教室』浦部法穂著 より抜粋。
「集団主義」の社会では、一人ひとりの集団構成員の権利・利益は、その集団が守る、という仕組みになる。したがって、一人ひとりの人間にとっては、自分の権利・利益を守るために必ずしも自分が何かする必要はなく、集団のなかでおとなしくしていさえすれば集団が守ってくれる、というわけであるから、ある意味で楽なシステムである。しかし逆に、集団のなかで、他の集団構成員とは違うことをしたり言ったりすれば、そのような人が集団のなかにいるということは、集団の結束力を弱め、集団による構成員の権利・利益保護の力を弱めることになるから、他の集団構成員にしてみれば、はなはだ迷惑な存在ということになる。だから、ここでは、「みんな同じ」(周りへの同調)がいいこととされ、「個」は無視される。
一方、「個人主義」の社会は、「個が尊重される反面、自分の権利・利益は自分自身で守らなければならない、という社会であるから、一人ひとりの人間にとっては、ある意味でしんどい社会である。自分の権利・利益は自分で守る、というのが、まさに「自立」のゆえんであるから、「自立した個人」を単位とする「個人主義」の社会が、そういうものであるのは当然といえば当然である。