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(回答先: 善意に基づく強制はいいとすると、何を基準に善意を決めるのかという問題が発生します。 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 09 日 01:26:32)
heartさん、どうもです。
思想が関係してくることについては、「国家による、いかなる強制にも反対」
”おかしな国家”が、常態な歴史過程であり、現在においても、残念ながら、そのような状態が
継続されてしまっていることを、鑑みれば、これぐらいのスタンスを持っておくのが、
懸命なのかもしれないですね。よく理解できます。
そもそも、思想を国家が強制しようと思っても、人間の心のなかのことですから、
根源的には、不可能なことなんですけどね。
だからこそ、国家は、”行動による強制”(逮捕・監禁など)、”経済による強制”(解雇・福祉の不支給など)を
駆使してくるわけでしょう。
「無制限の人間の自由はない」の裏返しで、「いかなる強制もない国家はない」と言えます。
>「仕事なんかせずに、毎日、酒だけ飲んで生きていきたいんだ」
>という人は、そのうち野垂れ死にます。
これなどは、わたしもまったく同意見ですが、これは、国家が”経済的強制”を使って、
「怠惰思想」を抹殺したとも見えるわけです。
確かに、善悪の基準や、その基準を”誰が”決めるのか?などの問題はあるのかもしれませんが、
善悪について議論して、概ね普遍的な”善”だなと合意されたことに関しては、
統治機構(国家・共同体)が強制しても守らせるべきだし、”悪”なことは、やめさせるべきというのは、
ことさら警戒すべき事項でもないと思います。
「戦争思想」に対して、適切な制御もかけられない国家とは、いったい何なんでしょう?