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(回答先: 強制のない世が理想だが、ルールを守らない不埒者へ国家が強制力を行使するのは仕方がないと思います 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 1 月 08 日 23:15:44)
最大多数の最大幸福さん、今日は、レスをありがとうございます。
下記は四方山話の一つとして記憶にとどめておいてくだされば幸いに存じます。
>>私は国家によるあらゆる強制に反対です。
私が何故国家によるあらゆる強制に反対するのか、理由の一つには国家権力やとりわけ行政や司法の担い手である官僚が主張する強制(力)の正当性には真実味が微塵もないと云った実感が伴なっています。
私は所謂“団塊の世代”の人間で、周囲には国家公務員を退官した者や間もなく定年を迎えようしている友人が何人かいます。職務上知り得たことを開示しないのは当然ですが、それでも日頃の抑圧感から解放されたためなのか開放されるのが間近なためなのか幾許か口元も緩みがちになり、人生論めいた本音が彼等の口からポロリと出ることがあります。そんな他愛の無い会話でもあらためて気づかされるのは、一様に彼等が業務遂行の合理性を追求して来たことです。それが彼等の考える“正しさ”であり、すなわち彼等にとっては自分達の業務(遂行権力)を如何にハンドリングできるかが問題なのであって、専らそのためのルール(教育基本法改悪等)作りには勤しむものの、正しい国家云々は埒外の問題であるようなのです。そんな自己中心的で一方的なる強制を最大多数の最大幸福さんは甘受されるのでしょうか。
尚、heartさんの見解は強制(力)が顕在化する末端のディティールだけではなく、本質的な部分を見据えてのことだと想っています。
>如往さんの国家像は、どういったものなのか?もう少し詳しくご解説いただければ幸いです。
阿修羅ではこれまでにも時々細切れのように述べていますが、Associationism(協同体主義)が私の思想の中核部分を成しています。もう少し実相的にはLibertarian socialism(≒共同資本主義)社会もしくはAssociate socialism(協同社会主義)社会によって構成される連合体が私の国家(?)像と謂えるかも知れません。その場合には旧来の国家という定義では捉えられなくなっていると想われますが、現時点においては然程明確なVisionになっている訳ではありません。
また、会いましょう。