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(回答先: 「治安維持」と「正しい強制」の違いが、どうしてもわかりません 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 1 月 09 日 23:53:39)
最大多数の最大幸福さん、レスをありがとうございます。
>その上で、どうしてもわからないのは、「治安維持」と「正しい強制」の違いです。
「治安維持」とは社会的安定の維持に資する政策の総称であるのにたいし、「強制」とは政策及び制度の運用上の度合を示す概念ではないでしょうか。そして、法に則ることにおいてのみ「正しさ」は「強制」の構成要件たり得るでしょう。
「正しい」国家とは近代国家においては「法治」国家と殆ど同義ですが、但し「正しさ」はしばしば権力の行使者によって恣意的な解釈がなされ主権者である国民に服従を強いるものですから、例えば「強制」にたいする反対表明をモメントにして絶えず「正当性」をチェックしていく必要があると考えています。
>具体的に、国家はどこまでのことなら国民に強制できるのか? ここは避けては通れない課題であるような気がします。
現行の日本国憲法は第一章の天皇に関する条項を除けば統治規範である憲法が授権規範と制限規範とで構成されるという世界にも類例がないほどの民定憲法的特質を有しています。それは主権者である構成員(国民)が共同体(政府)に統治権力を授権し、かつ権力の行使に際して国民の福祉に反することがないように公権力に制限を加えていくという構図になっています。
これは、権力は暴走し易く自己制御が不可能であるとの歴史的教訓に基づき、主権者によって一定のブレーキを掛けて行かなければならないという認識に立脚したものです。制度上は選挙権(国家公務員及び地方公務員の監督者である国会議員や地方議員)や住民投票権(首長のリコール等)や国民審査権(最高裁裁判官)によってブレーキの効力が担保されることになっていますが、果たして実質はどうでしょうか。遺憾ながら、現状は公権力による強制の範囲は拡大傾向にありますし、勿論それには国家権力を担う為政者群の意図が反映されてもいます。
我々国民は統治権力を授権している主体であると同時に、権力に一定の制限を加えていくという権利も義務も有するのであり、あらゆる強制に反対するのは権力の暴走にたいしブレーキを掛ける行為の一環に他なりません。そうした自覚に基づく個別的な不断のフィード・バックがなされてこそ、強制と自発性との間に蓋然性ある線引きがなされて、より公正に秩序の安定が保たれていくのだと考えます。
さて、最大多数の最大幸福さんにとって合点のいく回答になったかどうか心配ですが、不足に感じるところは各種の権力論や憲法学の概論書をあたってみてください。
また、会いましょう。