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(回答先: 貴方には、「多様な価値観を認める(=人間の尊厳を認める)」ということができないのですか? 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 08 日 15:03:32)
>heartさん どうもです。
Kに少し勘違いがあったようで、どうやらheartさんは「左派」なのではなく「無政府主義者」なのかもしれませんね。
無政府主義者(アナキズム)については
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0
でも読んでください。
【結局K氏も「反日ブログ監視所」と同じ心象の持ち主だったということか。自称・左派のK氏だが、左派とは言えないだろうな、これでは。】
と書いておいて
【「左派は自由を尊重する」といった主張をしたつもりはないですが、もしそういう誤解を与えたのであれば、撤回します。】
で良いのですか?
【撤回】するなら「分からないままで撤回すべきではありません」
heartさんの意見は長いので「様々な意見が、矛盾して提出されています。」
それぞれが、独立した形で「その場しのぎの切り替えし話法になっている」とKは思います。
「イデオロギーに収束するべきではない」
「反戦の運動だ」
「思想・内心の自由を勝ち取る運動だ!」
そして
「多様な価値観を認める(=人間の尊厳を認める)」為の「闘争」だと言うことです。
その集約が
>【日の君強制への抵抗には、二つの意味があると私は考えています。
一つは、ここまで述べてきたように、思想・良心、内心の自由に反することを強制されることにより人間の尊厳を奪われることに反対、抵抗するという側面。
良心の自由、表現の自由を侵されるということは、憲法に定められている云々以前の問題です。憲法が改悪されてでも良心の自由、そしてそれの担保のために必要不可欠な自由である表現の自由は守らなければならないと私は考えています。法と良心、どっちに従うかと問われれば、良心に従うほかないと思います。良心を捨てて悪法に従うようになったら、人間として堕ちていくことになると思うからです。】
民主主義である日本国に住む以上は「法」には従う必要があります。
社会の中で暮らすには「社会のルール」を守る必要があると言うことです。
「法と良心の、どちらに従うか?」と言えば「これは、法でなければいけない」でしょう。良心というのは「個人の価値観」です。
不完全である個人の価値観が「社会のルール」に優先すると思うのが、憑き物付きだろうと思います。
ただし「社会のルール」が悪法ではないというのは決定事項とは限りません。
その場合は、この法律は「悪法」でないか?と問いかけ、その上で「多数の人の合意において法を変える必要があります。」
それが、民主主義における最低限のルールです。
法を変える前に「自分の価値観(=良心)」による判断だけで法を破って良い訳がありません。
【多様な価値観を認める(=人間の尊厳を認める)】という事がどの意味を持つのでしょう?
それは、卒業式は一糸乱れないで「規律正しく行われるべき」という価値観を持つ人の妨害もしてはいけない。と言うことでしょう。
引用として紹介された記事の中にも【威力業務妨害罪】で逮捕された元教員の記事があるようですが、思想犯として逮捕されたのではなく「妨害罪」になっています。
「反戦ビラ」の事も書いてありますが、基本的には「思想的な罪が問われての逮捕」にはなっていないはずです。
ここが、共産圏と大きく違います。
共産圏では「別件逮捕」ではなく、思想犯として逮捕できるのです。
日本では本質的には別件逮捕であっても「別の目に見える罪がなければ、今の所は逮捕できない」のです。
その上で「思想・良心、内心の自由(自分の価値観)」を他人に押し付ける自由などないのです。
あるのは、一人で外に干渉することなく「持ち続ける自由」でしょう。
表現の自由と言う部分もあるでしょうが、君が代反対教師が「どのような反戦ブログ」を作っても「反戦小説を発表しても」そのことだけでは処分されないでしょう。(ただし、公務員の兼業になると小説は問題もある)
肉屋の外で「肉は食べてはいけない」とビラを配れば「業務妨害」です。それが、どのような良心に基づいての行動であってもです。
「自衛隊官舎への反戦ビラ」とか「卒業式での斉唱拒否」は、常識的な目で見て、嫌がらせ行為、もしくは、喧嘩を売っていると思われるでしょう。
これで「処分はしないで下さい」の方がおかしいでしょう。
むしろ「私は堂々と処分される事を覚悟の上で行動を実施します」とするべきでしょう。
教師の本分は「教え子に自分の価値観に根ざした思想を教えることではなく」
「社会生活に困らない、知識と、他人との協調性、他人に迷惑をかけないための道徳心」といったものを教える事だろうと思います。
その意味で「式を台無しにする行動を見せる」と言うのは「何も考えないで、君が代の歌詞を歌う」事よりも「その子のためになる」とは思えません。
>【日の君への忠誠を誓うべきという価値観に反対する人は、ではどうすればいいのですか?】
と言うのは
>【日の君強制問題で、天皇制度を廃止しろ!なんて主張している教師、いますか?強制に反対だ、戦争につながることだからやめろ、って言ってるだけでしょう。】
とか
>【歌を歌わないのは反日思想ですか。暴論ですね。】
あたりと、どのように整合性が取れるのか?
Kには分かりません。
「天皇は今現在、内閣総理大臣を任命する等の役割を担っている。日本の象徴であり、これは、憲法にも書いてあります。」
政府のやり方ではなく「象徴天皇を持つ日本の制度に賛成できない」から「君が代・日の丸」に反対しているのなら「これを、反日思想」と言わないで「何を反日」というのでしょう?
「君が代」斉唱反対というのは「君」というのは天皇の事で、天皇制度が長く続く事を祈る歌だから「歌わない闘争をしよう」と言うのが原点のはずです。
完全にイデオロギーの闘争です。
現在の日本の制度では、義務教育は国の指導の中で行われています。
良い悪いではなく、それが現実であり、ここを変えない事には「国家の関与はある」のです。
現在の日の丸・君が代は、国旗・国歌なので、国家の指導では当然ながら、卒業式などでは「国歌・国旗を歌いなさい」という指導がされるでしょう。
校歌の斉唱を拒否するというのは聞いた事はありませんが、
校歌の歌詞が気に食わないので「起立拒否」と言う教師がいたら、ヒンシュクを買うだろうと思います。歌詞が気に食わなければ「口パク」していれば良いのであり、起立拒否という「見た目に支障が出る行為と判断」される行為をすれば「注意」「軽い処分」「重い処分」「解雇」になるだろうと思います。
なぜならば「規律を大切にするという価値観を刺激し、他人の価値観を否定する」からでしょう。
【「多様な価値観を認める(=人間の尊厳を認める)」】
と言うのは「そのような規律を守りたい」という人の価値観にも配意すると言うことでしょう。
「少数派の価値観だけに配意する」ということではありませんね。
違う価値観が同居する場合には「住み分け」という手法が基本になります。
「君が代を歌わない職業を選択する」とか「口パク」で周りと合わせるとかが、大人の対応と思います。
「そんな我慢は出来ない!」という人もいるでしょう。我慢も出来ないならワガママでしょう。「お菓子を買って!」と泣き喚く子供と同じです。
欲求不満の発露として「処分される覚悟のない闘争」をしている。という見方も出来ます。
もしくは「処分はされる」とは思っているが「支援者との連帯が高まる」的な甘えの気持ちがあるのかもしれません。
いずれにしても「異なる価値観が住み分けもしようとせずに、我を通せば、闘争が起こります。」
民主主義の社会の日本では「多数派が勝つ」しかないでしょう。