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□報道がもたらす「1次被害」と「2次被害」 [JANJAN]
http://www.janjan.jp/media/0703/0703010870/1.php
報道がもたらす「1次被害」と「2次被害」 2007/03/03
報道による被害が問題視されて久しい。
しかし一方的な報道は減らず、過激さを増すばかりである。また、あるある大事典のように社会の混乱を起こす例も多い。
最近ではTBS「みのもんたの朝ズバッ!」のように、感情むき出しの司会者が自己の発言に責任もとらず、問題発言を連発し、特定の人をさげすむ発言を当然のように流す番組がいかに増えたか。
しかもこの番組ではみのが夕張市への取材で、飲酒した状態で市民に怒鳴り散らし、市長に暴言を吐くなど悪質な態度をとった。
これらは報道として批判されるべきであり、ここでみのから因縁を付けられたとしかいえない不遜な態度で接して苦しめられた夕張市関係者は「1次被害」といえる。
しかし、問題はこれだけではすまない。
報道に接するもの、特にメディア・リテラシーへの認識を持たない視聴者が報道を盲信し、まるで新興宗教にとりつかれたように信じ込む例がある。彼らは報道の検証どころか、実際事実かどうかも分からないことに対して「流される」感じで報道側の意のままになる例がある。
このような人間が作られ、報道に煽り立てられて選挙で特定候補に誘導される、主義主張がテレビ司会者と同じになる、感情に振り回されるといった例が出る。
実を言うと、私の両親はその一例だ。
しかし、報道を盲信してその通りに動いたからといって、報道側が責任を取る例はない。しかし報道を盲信して動かれると周りが振り回されることがある。これが「2次被害」といえる。
報道直後に感情的になった視聴者が怒鳴り込みにいく例がある。しかもリテラシーがないため、説明しても聞き入れない。
私はある市役所で、窓口に怒鳴り込んで暴言を吐き、因縁をつけた人を見たことがある。内容は分からないが、介護保険か福祉の問題か生活保護の問題と推測した。結局は警察沙汰になったが、窓口職員の説得では解決できないほど感情的で暴力的であったようである。その頃は公務員の不祥事をことさらに強調した報道が多数流れていたことは確かである。
事実ではないことでも事実と信じることから引き起こされる事件であった。
納豆の事件なら、1次被害はないが2次被害を引き起こしたのはダイエット情報を盲信した人、そして被害は納豆業界の混乱である。
報道を信じ込んで問題行動を起こす視聴者がいることで2次被害が生まれることについてはどうすべきか?仕組みは新興宗教の盲信と同じであるため、彼らが目を覚ますしかない。
報道関係者にとって視聴者の誰かが問題行動をとっても「彼らが勝手にやったこと」で終わる。煽り立てて影響を与えても罪になるわけではない。2次被害の大元は反省する必要もないと思っているいるのが今のマスコミである。
よく問題ある報道があるたびに批判が出るが、「見なければいい」という意見で終わりそうになる。しかし2次被害防止のためには「問題ある報道をしない」「煽り立てられやすい人に感情的な報道を見せない」ということしか効果にならないことをわかっているのだろうか?
報道にべったりな視聴者が自分のくだらなさに気づく日が来ないと、真面目な人は苦しむのみである。報道関係者におもちゃにされないような人間の社会になるために社会全員で努力する必要がある。リテラシーがあれば1次被害も2次被害も防げる。
(松山大智)
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