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□「あるある大事典」騒動、テレビの害毒は「協力金」 [JANJAN]
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「あるある大事典」騒動、テレビの害毒は「協力金」 2007/02/07
関西テレビ(フジ系)の「発掘!あるある大事典2」のねつ造騒ぎにはあきれた。どうやら『週刊朝日』の追及に耐えきれず、ねつ造を認めざるを得なかったようだ。
その後の新聞、週刊誌(とくに「週刊文春」2月8日号、「週刊朝日」2月16日号、「サンデー毎日」同18日号)の報道で見ると、ねつ造は納豆ダイエットだけではないらしい。ねつ造を産む構図もほぼ解明されているようだ。
ポイントは「協力金」にあるようだ。納豆製造に限らず、日本では、同業各社で構成する業界団体が必ずある。その業界団体が、広告・宣伝業者に「パブリシティー」を依頼する。依頼された企業にとって、テレビ番組で「健康(あるいは美容、ダイエット)に効果」と、とりあげてくれることは「大戦果」となる。そこでテレビ会社のプロデューサーらに働きかける。
「協力金」はその際に動くカネである。「あるある」の場合、1本で1,000万円だともいうからたいへんなものだ。
「納豆でダイエット」などというメーンテーマが決まると、まず最初に台本ができる。その台本に沿って、学者の研究がないかどうか探す。既存のものがない場合は、適当な学者を見つけて実験等をやってもらう。こういうのが下請けの制作会社の仕事となる。下請けから孫請けにまで回されていくのは、土建業界と同じ。孫請けとなると、「台本どおり」を強制され、ねつ造の温床となる。
テレビ番組なら、「何が何でも出たい」という学者もいて、そういう人をリストアップした「協力者名簿」もある。しかしそれにも限度があり、台本どおりの証明が成立しない場合が多い。そこでねつ造となる。外国人学者の発言の音声を消し、日本語でまったく異なったナレーションを入れるのは、常套の「手口」だという。
テレビは公共のものである電波を使用している。総務省の免許を受けて営業しているのだから、公共の益に供しなければならない。ほとんどの家庭に入り込んでいるという現実から考えても、女性週刊誌あたりがあおっているダイエットブームに便乗することは許されないというべきだろう。データねつ造までするとはあきれ果てたものだ。
関西テレビとネットを組んでいるフジテレビは、「楽しくなければテレビじゃない」を合い言葉に、1980年代以降の視聴率争いを制覇し続けた。全日(午前6時―午前零時)、ゴールデンタイム(午後7時―10時)、プライムタイム(午後7時―11時)の3つの時間帯で視聴率トップとなることを「視聴率3冠王」と自称し、臆面もなく「視聴率最優先路線」を突っ走った。1982年から93年まで12年連続3冠王だった。
高視聴率の原動力となったのがバラエティ番組。「オレたちひょうきん族」(81〜89年)と「笑っていいとも!」(82年〜)が代表選手だ。
94年にフジから3冠王を奪取したのは日本テレビだった。その年はさまざまの好条件が重なって、8月ごろから「日テレのリード」となった。そのまま逃げ切るために、12月に入って年末特番として「野球拳」を組みつづけた。素人女性を集めて、例の「野球するなら……」という歌に合わせて、じゃんけんに負けた方が、着衣を1枚ずつ脱いでいくゲームである。大晦日の夜、東京ドームで「大会」を開き、実況中継するということにし、その「予選」と銘打ったのである。その作戦はあたって、無事「3冠王奪取」となった。
テレビの出現を評して大宅壮一が「1億総白痴化」と言ったのは1956(昭和31)年のこと。テレビ放送開始の53年2月から、わずか3年しか経っていなかった。そのころ白痴化の進行はまだ序の口で、いわば「早すぎた予言」であった。じっさいに「1億総白痴化」を実現させたのが、フジ主導のバラエティ番組を前面に出した視聴率争いだった。
「あるある大事典」は、バラエティ番組のひとつである。バラエティ番組をつくってきたともいえる大プロデューサー・横沢彪(フジテレビ専任局長から吉本興業東京支社長、現鎌倉女子大教授)は、「たいへんためになりましたなどと言われたら、テレビはオシマイ」とまで言ってのけた。
ダイエットに効果があるというのは、「ためになる」ことであろう。そんな番組をつくったらテレビはオシマイ。だからデタラメでもなんでも視聴者を楽しませ、数字(視聴率)を上げれば良い……。これがフジテレビ(と系列局)のイデオロギーなのだ。「納豆でダイエット」の番組に飛びつく視聴者は、こんなこと考えてみたこともないだろう。「1億総白痴化」路線で、どんどんバカにさせられていった視聴者は、そういうことを考えようという能力を失ってしまっている。
ダイエットはともかく、健康志向は良いことだといえよう。しかし納豆でもヨーグルトでも味噌汁でも、単品で健康が保証されるなら、これほどラクなことはない。「学問に王道なし」と言うが、「健康」なども同じことなのだ。
デタラメばかりやっているテレビが、「儲かって儲かって……」という状況である。いまの日本は、まったくおかしな社会になっているが、その最たるものがテレビの儲けぶりだろう。
東京のテレビ局(4大ネットのキー局)に行くと、その建物の大きさ、立派さに驚く。TBS(赤坂)とテレビ朝日(六本木)は以前から同じ場所だが、どんどん増築し、巨大ビル群に膨れあがっている。フジ(産経系)はお台場、日本テレビ(読売系)は汐留(旧国鉄操車場跡)と、巨大再開発地域に移転した。土地買収と社屋の建設に巨費を要する場所だ。
それほどテレビが儲かるのは理由がある。テレビのコマーシャル料金は、「税金代わり」なのだ。大企業の広告費は電通などの広告代理店が取り仕切っている。代理店は企業に対して「広告費をケチって利益を計上しても、税金で持って行かれるだけじゃないですか。多額納税しても何のメリットもない。広告費は経費として認められますから、税金を払うつもりで支出するのが賢いんです。広告費を出しておくと、いざというときメディアに顔が利くというメリットがあります。何かあったときは、わが社がメディアに圧力をかけます。広告費は危機管理のための必要経費でもあるのです」というセールストークを展開している。
総広告費をどう配分するのか?テレビは視聴率、新聞は部数をもとに、代理店が方程式をつくっているが、テレビの配分比率が増える一方。だからテレビは、景気低迷と縁のない「好況」を謳歌している。
いま日本社会が音を立てて崩壊している元凶は、テレビであろう。大人の場合は、いったん身につけた知性を、テレビによって失うから「白痴化」であろう。
受け身だけで楽しめるのがテレビだ。寄席を考えてみよう。客が全くの無表情だったら、落語家でも何でも、まったくつまらない。講談・浪曲等を含めて、聴衆の盛り上がりによってこそ、感動が得られるのだ。笑ったり泣いたりすることによって、聴衆も芸に参加していると言える。
演劇も同じことだ。舞台俳優は、いつも客の反応を気にし、盛り上がらないときは、その理由を考えるという。映画になると、観客の反応が演技者に伝わることはない。それでも時間をつくり、切符を買うというのは1つの行動である。それによって映画館という特殊な空間に入り、映画という絵空事の世界に入り込む。
テレビは、こうした能動をすべて捨てさせる。与えられたものの中から、楽しいものを選ばせるだけなのだ。その瞬間、面白くなければリモコンのボタンを押してチャンネルを変えるだけでいい。こういう生活に慣れきってしまうと、人間は自らの行動によって状況を切り開くことを忘れる。政治の流れを変えるために、投票所に足を運ぶことすらしなくなるのである。
子どもの育ち方はとくに重要だ。ヒトは他のほ乳類と比べて、胎内での成熟度がきわだって劣っている。他のほ乳類並みの完成度で誕生となるためには、倍の妊娠期間が必要だという。未完成品として生まれる新生児の中でも、とくに劣っているのが大脳皮質の発達であるらしい。その大脳皮質は、母親らとの対話の中で完成する。
赤ん坊は言葉が分からないのに、母親が語りかけるのは、大脳皮質を育てるための本能なのである。テレビに慣れきった母親は、赤ん坊に話しかけることを忘れ、テレビに子育てさせる。その結果、テレビ番組の楽しさだけにしか反応しない「テレビ脳」ができるという。テレビ脳では、他人との会話ができない、もちろん本も読めないと考えられている。「耐える」などは死語になり、代わりに「キレる」「ムカつく」という「新生語」ができた。人々はすぐにキレて、ナイフなど持ち出す。
『本が死ぬところ暴力が生まれる――電子メディア時代における人間性の崩壊』(バリー・サンダース著、杉本卓訳、新曜社)という本が刊行されたのは1999年。電子メディアの普及によって、識字による自己形成が喪失したと説くこの本はほとんど話題になっていない。それこそ21世紀日本社会の危機であろう。
(藪螺亭晋介)
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ポチもびっくり〜あるある事件(辞典?)から見える 隠しきれない腐った膿(膿は広いな大きいな♪)
http://www.asyura2.com/0610/hihyo4/msg/560.html
投稿者 生成発展プログラム 日時 2007 年 1 月 31 日 10:38:34: iwGg3ccPrH5TQ
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