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株式日記と経済展望
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http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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百年とは言はず、あと数年か十数年後には、あの遊就館の
歴史解釈の方がやはり正しかったのだ、と言うことになるだろう
2006年11月27日 月曜日
◆「大東亜戦争 日本の主張」 別冊正論
http://www.amazon.co.jp/gp/product/459460465X
◆大東亜戦争いまだ終わらず 長谷川三千子
大東亜戦争を曇りのない目でふり返り、それがわれわれ自身にとつて、また世界全体の歴史にとつて、どのやうな意味をもつものなのか、虚心にふり返つてみようとすると、われわれはいつも、そこにもやのやうにたちのぼつて視界を曇らせるもののあることに気付かざるをえない。
たとへぱ、「侵略戦争」や「戦争責任」といふ言葉がある。それらの言葉を自明の前提として、人々は、日本が「侵略戦争」をしたことは否定できないと言ひ、「戦争責任Lは天皇にもあつた、国民にもあつた、と言つて口角泡をとばしてゐる。
そもそも今使はれてゐる「侵略戦争」「戦争責任」という言葉自体が、第一次大戦直後に、すべての責任を敗戦国に押しつけて、戦勝国の戦後の優位をゆるがぬものにするために発明された、インチキきはまりない概念にすぎないのだといふことを、いくら口をすつぱくして述べても、人々の耳には入らない。
あるいはまた、なにか自分たちを「加害者」と呼ぶことが道徳的態度であるかのごとくに思つて、自分たちの「戦争加害」を反省し、「被害者」に謝りたがる人々が後をたたない。戦争とは互が相手に与へる「加害」の大きさを競ふ行為なのだといふ基本知識が、まるで欠け落ちてゐるのである。
さうかと思へば、大上段に「あの戦争は何であつたのか」をふり返るのだと言ひつつ、ただもつぱら日本政府と日本軍の判断ミスと失策だけを数へ上げて得々としてゐるやうな評論家がゐる。戦争とは相互的なものだといふことをケロリと忘れ去つてゐるのである。
さらに、東亜の解放と近代の超克といふ大課題について言へば、大東亜戦争がさういふ大課題を負はされてゐたといふこと自体、はなから否定してかかる人が多い。
しかし、かうした人々を、ただ「自虐史観」といつた言葉で一くくりにして掃いて捨てたらば、われわれは「精神史」といふ見方をも捨てることにならう。この、はらつてもはらつてもたちのぼつてきて視界を曇らせる、、もやは、それ自体が「精神史」の一部なのである。
それは、「戦後」の出発点をなす、あの"茫然自失"を源としてわき出してくるものなのであつて、あの一瞬の底にひそむ葛藤をときほぐし、そこにあらはれてゐる、よりあき大きな真実といつたものを明らめないかぎり、いつまでたつても、手をかへ品をかへして、われわれの視界を曇らせつづけるはずである。
つまり、一口に言へぱ、われわれの「精神史」の時間は、いまだ昭和二十年八月十五日のうちに凍りついて、止まつてゐるのである。「歴史過程と精神過程はかならずしも重らない」どころではない。六十余年、われわれの「精神過程」は一歩も進んでゐないのである。三島由紀夫が、その内の二十五年間をふり返つて、その空虚にびつくりしたのも、まつたく不思議ではない。
われわれの大東亜戦争は、その最後の一瞬において、未完のまま凍りついてゐる。或る途方もなく大きな、われわれの全歴史を通じての宝となりうるやうな真実を抱へたまま、単なる未解決の葛藤のごとき形をもつて、それは凍りついてゐる。これを解凍すること。そして、わが国の歴史ー「精神史」としての歴史ーをもう一度歩み始めさせること。これこそが「大東亜戦争はまだ終つてゐない」といふことの意味であり、それがつきつける課題なのである。(P17〜P18)
◆それぞれの歴史観 東京大学名誉教授 小堀桂一郎
ところで遊就館の現代史図解の説明中に、「ルーズペルトの世界戦略・アメリカの大戦参加」との見出しの下、以下の如き一文があつた。
《 大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、昭和十五(一九四〇)年十一月三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和十四年には、米英運合の対独参戦を決意していたが、米国民の反戦意志に行き詰っていた。米国の戦争準備「勝利の計画」と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した 》
この説明には、緒果としてさうなった、といふ事態を捉へて、だからそれが最初から目指してゐた意図の実現だったのだ、との解釈に誘導されてゐるところがある。結果を見て動機を推してゐるといふわけである。
そこで、筆者の管見に入ったかぎりでもアーミテージ、タルポットといふ二人の米政府高官(共に元国務副長官)が遊就館を訪れて展示(英文説明がついてゐる)を見たらしく、この解釈に不満を述べてゐたが、岡崎久彦氏の紹介(十八年八月二十四日付産経新聞「正論」欄)によると歴史家のジョージ・ウイル氏の反応は非常に感情的で、かつ激しかつた様である。
日く〈これは唾棄すべき安っぼい(あるいは、虚飾に満ちた、不誠実な議論であり、アメリカ人の中で、アンチ・ルーズベルトの少数ながら声ばかりは大きい連中が同じようなことを言っていた〉とワシントン・ポスト紙上で論じてゐたといふことである。然しこの程度の感情的反駁に接して狼狽したりしてはいけない。
これは甚だ興味深いコメントである。即ちウイル氏のこの口汚い罵倒は、遊就館で接した展示が、氏の抱懐してゐる近代アメリカ史の中の極めて痛い所を、所謂図星を突いた説明だったからである。この判定が定着すれぱ、アメリカ合衆国建国以来の理想「アメリカの正義」の旗印も地に墜ちるだろう。
しかし、冷静に「それは違ふ」と受けとめた人ならぱ、決してこの様な口汚い言辞は弄さぬものだ。断つておくが、筆者が〈図星を突いた〉といふのは、筆者も同じく、結果を見て動機を推す、といふ推論法を用ゐるが故ではなく、人間(個人にせよ集団にせよ)の行為には全て、本来意図した目的とは全く異なる、若しくは関係のない結果を収穫してしまふことはよくある、その場合、その行為者は、招来してしまった結果を以て、それが本来の動機だつたのだらうと推測される「誤解」を避けることはできない、との諦観に似た認識がある故である。
そして我が日本の現代史は利害の相反する相手国から実に屡々この誤解を受けて来た。早い話が、大東亜戦争に於ける東南アジアの欧米植民地の解放といふ見事な成果を指して、「共同謀議に発する侵略戦争の成功である」と断定されたことなどは正にそれである。
然し我々はその誤解への不満の故にアメリカの歴史教科書を書き換へよなどと言ったことはない。只管現に斯うしてその誤解を解くための論証作業を積み重ねてゐるだけである。国際間の戦争の如き複雑な間題についてはそれぞれの当事国にその国固有の歴史解釈があつてよいのである。
ウイル氏の罵倒に接すると、筆者は又改めてヘレン・ミアーズのあの洞察の正しさに感嘆の念を覚えずにはゐられない。日く、〈我々は日本を有罪として非難するくせに、それと同じ行動を我々自らが行ふ場合には、それを犯罪とは考へないのである。これでは正義どころの話か、まさにリンチである〉。
靖国神社遊就館課は傷つけられたウイル氏の愛国的感情を尊重して、その説明文に修訂を施した由である。その結果どの様な記述になったかを筆者はまだ確認してゐない。然しここで示された日本的寛容は、それはそれでよかつたと思ふ。
この言論戦の結果は我々の小さな敗北であるが、決して致命的なものではなく、時にとつてこのくらゐの譲歩はしておいてもよいであらう。ただこの前例が後に尾を曳いて又次々と同じ様な要求と妥協の連鎖を繰返す様なことだけは心して避けなければならないが。
而して、百年とは言はず、あと数年か十数年後には、あの遊就館の歴史解釈の方がやはり正しかったのだ、との見方が勝を占めることになるかもしれないのだ。もはや如何にも紙面が尽きたので、結びに同じ遊就館の沖縄作戦の部に飾られてゐる、楠木正成の旗印なる「非理法権天」の五文字に言及しておかう。
この五文字に最低限度の説明をつけておくとすれぱ、人と人との間の対立に於いて、個人対個人の次元では「理」は常に「非」に勝つ。又必ず勝たしめねぱならない。然し、個人の「理」は社会の「法」の前では、敢へて自らを枉げてこれに妥協せねばならぬといふことも起る。
では此世で最も強いのは「法」であるか。否、「法」を作ったり廃したりする力は国家の持つ「権」にある。それならぱ国家の根拠たる「権」同士の争ひは如何にして決着をつけるのか。それは百年後の歴史の判定に委ねるより他ない。
即ち同時代の人間の限られた知見を以てしては判定のつかぬ勝敗を、古人は「権」の上なる「天」に委ねるといふ形で敬度にも自らの判定を放棄したのである。是に由って此を看れば、百年戦争としての我々の思想戦の旗印には、この五文字が最も適しいであらう。 (P86〜P87)
(私のコメント)
長谷川三千子氏の記事に寄れば、日本人の精神史は昭和20年8月15日に凍り付いて止まってしまった、と言うことですが、アメリカ占領軍による日本人の洗脳工作によって日本人の精神的な歴史観は封印されてしまったのだろう。確かに日本人は大東亜戦争によって戦闘は華々しく戦ったが、プロパガンダ戦においては、有ったのか無かったのかわからないくらいの粗末なものだった。
本来ならば、プロパガンダ戦における主役は学者や文化人やジャーナリストによるものですが、日本にはヒトラーやゲッベルスのようなプロパガンダの天才はいなかった。日本の政治家達の演説はとても大衆を熱狂させるようなものではなく、演説原稿を棒読みするような政治家がほとんどだ。
大東亜戦争における思想言論戦における第一人者は大川周明にあたるのでしょうが、東京裁判における発狂騒ぎで、東京裁判における言論戦は封印されてしまった。おそらくGHQとのやり取りで命は助けてやる代わりに発狂したお芝居を要請されたのだろう。その後の大川周明を見れば発狂していないのは明らかだ。
6年余りに及ぶアメリカ軍の占領期間中、米軍による検閲体制が引かれて手紙は開封されて、戦前戦中の発刊された書籍のうちで発禁処分を受けて焚書された本は7700冊に及ぶ。日本政府はこのような占領軍の行為に対してなぜ抗議しなかったのか? 自由と民主主義を日本に植えつける為ならば、このような検閲行為は明らかにおかしい。
東京裁判も最近でこそ批判が高まってきましたが、東京裁判の不条理性は当時でも問題になったにもかかわらず、日本政府は抗議らしい講義はしていない。むしろサンフランシスコ講和条約で東京裁判を認めてしまっている。これこそ日本が完全にプロパガンダ戦争で負けたしるしとなるものだ。
アメリカ占領軍は講和条約が成立した後も日本を占領し続けているのですが、この事に対しても平和憲法と安保条約に誤魔化されてしまって、アメリカによる日本占領はいまだに続いている。その証拠となるものは遊就館におけるアメリカ高官による記述の書換え騒ぎにも起きており、岡崎久彦氏のような外務官僚が占領政策の協力者なのだ。
一昨日に三島由紀夫の檄文を紹介しましたが、日本の自主独立を訴えたものであるにもかかわらず、日本の自衛隊はアメリカの傭兵であっていいのかと言う檄文に対して何の反応も示さなかった。日本人の多くが彼を狂人扱いをして社会から葬り去ってしまった。しかし彼の主張は論理的であり狂ってはいない。
むしろ狂っているのは日本の方であり、戦後の日本の集団発狂はいまだに続いている。非核三原則における中川政調会長や麻生外務大臣の発言に対する与野党の国会議員のヒステリックな反応は、議論する事も考えることもいけないというまさに狂気の発想だ。むしろ米政府高官だったキッシンジャーのほうがなぜ日本は核武装しないのかという疑問を持っている。
大東亜戦争においても総括的な議論が行なわれていないのは、日本人の精神史が昭和20年の8月15日で止まってしまっているのですが、日本人の多くが思考停止状態に置かれてしまっていることにすら気がついていないのだ。
だからこそ株式日記では「日本人よ、早く目を覚ませ」と訴え続けているのですが、三島由紀夫を狂人扱いした日本の状況は36年前と大して変わってはいない。テレビでは核武装論者は出ることもままならず、見えない検閲体制はいまだに続いている。
三島由紀夫が檄文で核停条約の不条理性を訴えているが、インド、パキスタン、北朝鮮と核保有国は広がり、核保有国は核廃棄の動きはまったく無い。にもかかわらず日本は空文化したNPT条約を守って核議論すら封印している。三島由紀夫今も生きていたら本当に発狂してしまうかもしれない。
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