★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ46 > 332.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re: 研究者志望も実現は1割弱…行き場少ない数学エリート:日本のお寒い現実(読売新聞) 投稿者 こげぱん 日時 2006 年 10 月 25 日 00:30:19)
貴重な情報、ありがとうございました。
よく「日本は画一教育。アメリカは個別教育」といわれています。
これはどういうことかというと、日本では皆、能力(才能)に差はなく、努力すれば誰でも良い成績が取れるし、どの教科もまんべんなくある一定の水準に達する事を目標しているのに対し、
アメリカでは個々人によって、生まれ持った能力(才能)は異なっており、秀でた才能を伸ばすことが大切で、不向きな教科の勉強にあまり時間を割くのは無駄であるという考え方です。
なぜこういう違いが生じたのかというと、勤勉をモットーとする農耕民族と勤勉だけでは世の中を渡れないとする騎馬・牧畜民族の違いという説もあります。
しかし、教育とは国策に基づいて決められるものですから、日本の教育は高度経済成長期に必要だった「高品質の製品を作り出すために必要な人材」に焦点をあわせており(これは時代遅れですが、アメリカからこう指導されているのかな?)、アメリカの教育は、軍産複合体が頑張って世界を荒らしまわっているように(笑)、支配者として、さまざまなことを「企画」「創造」できるような、クリエイティブな人材の輩出を目指しているからといえると思います。
人間は向き、不向きがあります。理数系、文科系、芸術系、体育系のどれをとっても、生まれ持った才能というものがあって、努力してもどうにもならないものがあります。どうにもならないものを努力させて、皆と同じような水準に持っていくより、才能のある分野で思いきり頑張った方が合理的です。数学なんて、一般市民は、掛け算、足し算、割り算、引き算ぐらいができれば問題なく社会を渡れますよね。
アメリカの私立校は、授業料が大変高いですが、それが払えない家庭でも、成績が非常に良ければ、市や州がスカラーシップを与えるということもやっています。またそういうところの教員は、小学校でも最低修士号ぐらいは持っている人が多いです。中・高校になると博士号を持っている教師はざらです。
東京のASIJ(アメリカン・スクール・イン・ジャパン)も授業料は小学校でも年間二百何十万ぐらいかかりますが、相当水準が高いです。一度日本の教師達が見学に行くといいと思います。
ご紹介の中島さちこさんは、将来楽しみな人ですね。彼女が好きなミュージシャンも、まさしく「本物」の人ばかり。フランク・ザッパも数学の博士号を持っていますし・・。数学と音楽はやはり相通じるものがあるようです。
▲このページのTOPへ HOME > Ψ空耳の丘Ψ46掲示板
フォローアップ: