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(回答先: Re: 雉も鳴かずば撃たれまい wwww 投稿者 影の闇 日時 2006 年 11 月 06 日 23:05:16)
朝鮮国王が清帝国からの使者に対して頭を地に付ける礼拝していたことは認めるんですね?w
どうして無視するんですか?
>では訊く。沖縄の代表的な観光施設である守礼門、
ほらほら、劣勢になったからといって話を逸らさない逸らさないwww
守礼門も確かに明や清からの使者に対して琉球国王が礼拝するところであったのは確か。
>これをもって、お前さん、琉球王国は、今でいう属国だった、琉球王は屈辱を感じておったって
>いうわけ?wwww
残念ながら守礼門と迎恩門は同列には扱えません。
1637年に起きた丙子胡乱の和議条件として朝鮮側は屈辱的な条件を飲まされています。
降伏の儀式では「大清皇帝功徳碑」を建てさせられ、以下の内容が書かれているそうだ。
愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆った。
清国皇帝は、愚かな朝鮮王を窘め、この大罪を諭してやった。
良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、
この石碑を建てることにする。
そして和議の条件には、清への朝貢と清からの冊封、明との断交、朝鮮王子を人質に差し出す、
賠償金、黄金100両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭、女性3000人など
20項目余りの物品を毎年献上、清の許可なしに城を作ることの禁止、必要な時に朝鮮軍の清への提供、日本と朝鮮の貿易の許可、大臣たちの兄弟か息子を人質として提供、などが含まれているそうだが。
それ故に朝鮮は清帝国の属国ということ。
お分かりですか?朝鮮国王の王子を清帝国に人質に出すんですよ。
琉球は清帝国に対して上記の和議のようなものは出されていないしね。
以下は別ツリーの話だけど、まとめてこちらに書く。
>なんせ、金印もらって国王に認められてもらったり
確か朝鮮は「泥印」を貰ったんですよねwwwww