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(回答先: いつの間にテロ=イスラム教徒になったのかなあ? 投稿者 パルタ 日時 2006 年 11 月 04 日 10:17:47)
以下の文章を見ていると、差別される側にも理由があるかと思えてきたりする。しかし、ネオナチのような連中はいかなる意味でも正当化できないだろう。彼らはいかなる意味でも共存は否定する連中だからである。いかに差別される側にも理由があるとしても、断じて特定人種抹殺を公言する理由付けを正当化するために用いるべきではない。極右は極右なのである。↓
以下 ボスは迷文家シリーズ
http://www.sidetrak.com/Japanese/shoji35.htmlより抜粋転載
Vol.35
差別と偏見‐社会学的考察
僕は米国(シアトル)に住んで差別と偏見を感じたことがありません。シアトルは民族的な差異に寛容な土地です。でも差別や偏見を感じる日本人は、米国に住む長期滞在者や訪問者を含めて数多くいます。その問題点をここに提起することによって、そういった人たちが差別や偏見を回避出来たらなによりです。
差別
先ず我々が理解しなくてはならないことは、"異質"に対して差別が起きるということです。これは人種間の異質のみならず、同族における性別、年齢別、職場での派閥、学校でのえこ贔屓、好き嫌い(容姿顔形、思考の不一致、性格の不一致、ファッション、等々)。 我々の日常で頻繁に見られることです。こういった差別は、法律や取り決めそして約束事によって差別を排除しきれない面をもっております。異質があれば差別もありうる、と思って良いと思います。この事実をしっかりと頭に入れて読んでください。
アメリカ人の多くは質素で謙虚で真面目です。そんな質素な人たちがいくら寛容であったとしても、日本人に対しての違和感がつのれ(異様なまでに)ば、日本人に対する生理的精神的な拒否反応が、嫌悪感にともなって言葉や表情そして仕草にまでも出ます。そしてそれが偏見や排他に育ってゆくのです。差別は(実際にあるとすれば)法律では禁じられているので、見えないところで行われると思います。それを感じ取って、差別をされたと思うのでしょう。人は、許容することのできない異質性に触れた時、落ち着きが無くなり(feel uncomfortable)それを不安(feel threatened)に思い、受け入れ(accept)ることが出来なくなって、それが嵩じると精神的そして生理的な拒絶(reject)となるものです。日本人が感じる差別や偏見(discrimination & prejudice)は、こういった理由に起因していることが多いようです。"あそこのレストランのウエイトレスはけしからん、俺を日本人だと思って、、、。"僕はこんな言葉を何度聞いたことでしょうか。大学の教育を受けている人たちから出る言葉です。
略
偏見
差別と似たものに偏見があります。一般的に差別は力関係を示すことがしばしばですが、偏見は意識や寛容の差を示します。意識が高ければ高いほど人種的異質性に対して寛容ですが、意識が低ければ低いほど排他的になることがあります。これは教育の程度に比例し、人夫々の性格の質によっても異なると思っております。
略
この白人の住宅地に、ポンコツのピックアップを乗り回す無教養でマナーの欠けた白人家族が引っ越して来たとしましょう。教養が高く寛容な白人は挨拶をしますが、すぐには友人にはなりません。教養が高く無寛容な白人は慇懃無礼にふるまうだけ。教養が低く寛容な白人は、教養があって寛容な白人よりも早くうちとけます。教養が低く無寛容な白人は、あからさまに嫌悪感を示すことがあります。白人社会の中であっても社会階級的な異質性が排他主義を呼ぶのです。後で述べますが、排他主義は偏見によって行為化します。それが結果として差別となるか否かは解釈によって微妙なところです。
嫌悪感が募ると嫌がらせに転じることがあると書きましたが、つい二〜三年前のシアトル郊外(白人の住宅地)でも、刑務所を出所したばかりの元連続強姦犯(白人)の家が焼き討ちになった事件がありました。これは異質に対する不安感が恐怖感に変わって起きたものです。たまたま被害にあった家は白人のものだったのですが、元犯人が黒人であっても起きたであろう事件です。その場合は黒人へのヘイト・クライム(他人種を憎んでの犯罪)として人種問題に発展します。
ヘイト・クライムは五〜六年前にロスアンゼルスで発生しました、環境の良い住宅地に住む日本人が家の中で殺された事件がそれです。日本人による目立ち過ぎるばかりのアメリカ買い占めが盛んであった頃に起きました。確か数年前に起きたデンバー帝京高校の生徒が殺された事件。これはヘイト・クライムと記憶しております。ステレオ・タイプはまずいのですが、高校生たちがアメリカ人の街でどういう振る舞いをしているものか、シアトルへ来る若者たち(語学留学生‐特に夏休みを利用してやって来る短期の語学留学生のグループ)を観察しているとある程度の推察はつきます。これも日本人の脅威(大手を振って異質を顕示している)への不安感が、日本人への生理的嫌悪感へと転じて起こした事件といえないでしょうか。経緯を知らずに書きました、ですから断定ではなく憶測です。
村上春樹氏の"やがて悲しき外国語"という本に、ホノルル・マラソンの二万人からなる参加者の内、過半数(一万二千人)が日本から飛行機でやって来て参加する日本人、地元のアメリカ人たちは日本人に対して拒絶反応を示し始めたと、書いてありました。こういった拒否反応は人間の感情の問題なので、法律によって"そんな感情を持つな"とは出来ないものです。ローマに入ったらローマに従う(ブレンド・インする)ことが大切で、他人の国へ行ってあからさまに日本人であることの異質性を顕示しないことは、ある意味では演出として大切だと思います。 それは、相手に良い印象を与えようとして着飾る(演出)ことにも通じております。 ですから、ホノルルで良い印象を与えるということは、高価なランニング・ギアに身を包むというのではなく、この場合での演出とは"目立たない様に"そう"地元の人たちの癇に障らない様にすることです。要は、相手に如何なる印象を与えているのか(相手の立場にたつ)考えることです。東京の街中でグループ化したイラン人に対して、日本人は拒否反応を示したことを思い出してください。二万人参加のマラソンに一万二千人もの日本人が押し寄せれば、どうしても目立ってしまいます。
良い例ではありませんが、ナチス・ドイツの時代、弾圧を受けていたユダヤ人は、ひっそりと目立たない様に暮らしておりました。でも僕は日本人にひっそりと暮らすべきだとは言うつもりはありません。日本人グループの中にいた方が楽だという人達が、異質感(違和感)を大きく顕示することが多いので、それに対してアメリカ人が如何なる反応を示すものか説明するだけです。然し日本人は、他人の台所(アメリカ)を荒らさない(違和感を出しすぎない)くらいの礼節くらいは持つべきと思います。英語ができないからアメリカ人と一緒だと落ち着かない、だから日本人同士。気持ちは良く理解できます。決して悪いことではありません。でも日本人のグループに固まれば固まるほど、アメリカの絵の中で異質に映ります。その結果で厭な思いをすることがあるだけなのです。極端な場合には、ヘイト・クライムの原因をつくってしまいます。
シアトルのダウンタウンの安酒場に、僕は頻繁に一人でブルーズの生演奏を聴きに出かけます。訪問者も連れて行きますが、殆どは僕のアメリカ人の友人たちです。でも時たま日本からの訪問客も連れて行きます。人数が二人以上の時には絶対に連れて行きません。例外はありますが、基本的に連れて行きません。日本人として目立つことが場違いに感じられるからです。でも僕の目から見て、雰囲気があうと思われる日本人グループは別です。彼等はアメリカの街に不自然でなく、どこへ行ってもすぐにブレンド・インする(日本人であることを顕示しない)ので、異質を露呈しません。でもこの"不自然でない雰囲気"は、米国生活の長短とは余り関係がないようです。その人から漂ってくる感性の質がアメリカの雰囲気に合うあわない、ということだと思います。
グループを組んでいる日本人たちは、何処へ行っても日本人であることを無意識のうちに顕示しています。善し悪しの問題ではありません。観光客は仕方がないのですが、アメリカに住んでいるのだったら、考えた方が良いと思います。日本でも、一人だけの白人よりも、グループでいる白人(多くの場合は観光客)には異質性が強く感じられる筈です。
日本から来た若い人に多いのですが、街中でしゃがみ込んで煙草を吸ったりソーダ類を飲んだり。これは日本人の大人たちの目にも異様で"やめろ"と怒鳴りたくなりますね。"日本人丸出しで何悪い"と主張する態度も同様に異様なことなのです。まあ、そんな反応をする人たちに限って"アメリカ人だって日本では、、、"と反論することは火を見るよりも明らかなのですが、そういった論理を展開したければそれも善し、僕がとやかく言うことではありません。ここで僕は、偏見における因果関係の説明をしているだけで、日本人であることの批判をするものではありません。偏見を避けたかったら、少しは控えめにしたらどうでしょうかとの提案なのです。日本人丸出しで何悪いと主張したい人はそれなりにすれば良い、但し偏見や拒否反応を感じたとの被害意識をもって、アメリカ人に対して敵意、反感、遺恨をもたないことです。
この様に、差別とは様々な形で存在しております。異質があれば差別もありうるそして偏見も育つ。そう思って良いと思います。人種間の場合は、異質性が際立って顕著に分かるので、どうしても目立ってしまいます。この事実をしっかりと頭に入れた上で、アメリカで快適に過ごせる様にしたほうが、日本人丸出しをしてホスト国の人々に不快感を与えて更に厭な思いをするよりも良いのではないでしょうか。
January 31, 1998