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(回答先: ローマ法王庁、ベネディクト16世発言で謝罪声明 【読売新聞】 投稿者 いいげる 日時 2006 年 9 月 16 日 23:10:46)
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/50749339.html
2006年09月16日
・ベネディクト16世 発言に注意が足りない
950年ぶりにドイツ人、ゲルマン民族としてローマ教皇の座に就いた元ラッツィンガー枢機卿=現・ベネディクト16世。教皇になってから初めてふるさとのバイエルンを訪問している。郷里に入って気が緩んだのか、大学で行った講義で余計なことを口走ったようだ。
「預言者マホメットが新しくもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ。」
といったとのこと。前後の文脈が完璧にはわからないし、イスラム超過激原理主義集団の組織的自爆攻撃を批判するために言ったもののようだが、どう贔屓目に擁護しても注意が足りない言葉であった。
欧州の諺で各国民の国民性を説明するときに言われることだが、ドイツ人はぽろっとつい言ってはいけない禁句の本音が出てしまう傾向がある。その際たるものがナチスドイツの礼賛。今もドイツの田舎町にでも行けば、戦争を経験した世代の人たちが決して強烈な民族主義者、国家主義者とはいえない人たちでありながら、
「世界大戦ではドイツと日本は一緒になってがんばったんだがなあ。あれはイタリアを入れたのが失敗だった。」
「あの横暴なイスラエルや、金の力で我が物顔に何でも牛耳るユダヤ人を見ていると、あの時ナチスがやったことはそれほどひどいことだったとは思えない。」
といった「本音」がぽろっと出てきてしまう。戦後のドイツはすぐに東西に分裂して冷戦に巻き込まれ、しかも周辺諸国をつい先日までの敵国に囲まれて存在している。徹底的にナチスの歴史を清算しなければ再出発そのものが不可能だった。だから猛烈にナチスの歴史を礼賛することを刑罰で禁止し、犯罪にしてまで(こういう体制を「戦う民主主義」という。)「悪」と定義した。もし、ドイツが日本のように周囲を海に囲まれた島国だったらこうはいかなかったはず。
ベネディクト16世はドイツ人であり、少年期のこととはいえ、かつてヒットラーユーゲントに所属していた人物である。1960年代の第二バチカン公会議によるカトリック改革に徹底的に反対した超保守派の代表格であり、「カトリックのカテキズム」の編纂・出版の総責任者としてその内容を著しく保守的に固めた理論的中心でもある。ヨハネス23世やヨハネ・パウロ2世らを激しく憎み、非難し、バチカンから破門されるぎりぎりの状況で今も辛うじて正式の破門だけは免れて、超伝統主義の殻に閉じこもった聖ピオ10世会からは熱烈な支持と尊敬を受けている教皇でもある。そもそも聖ピオ10世会の修道会としての破門を食い止めているのもベネディクト16世の意向の反映だといわれる。
ベネディクト16世は一応、形式的、対外的、表面的には中東和平を願い、イラク戦争の終結を望むとしているが、パーキンソン病でよれよれだったヨハネ・パウロ2世が見せたような誰の目にも明らかな停戦への努力を、教皇としてとっているとはとても思われない。プラダのグッチの赤い靴、サングラスで老人のしゃれっ気を見せている場合ではないと思うのだが、だからこそ、彼の発言、説教には何の注目すべき点も見出せず感動を呼ばない。
もともとイラク戦争がアラブ人、イスラム教徒の怒りを限界まで沸騰させた。その原点になったのは、ブッシュJr.が
「これは悪と対決する聖なる戦い、十字軍だ。」
と公言したことが大きく影響している。そういう状況、文脈の中で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判を引用し、上記のような発言を行うことはどう考えてもその発言に注意が足りないとしか評し得ない。彼は少し、状況を踏まえた言葉選びという点では頭が悪い。たとえ、どのような文脈で言ったにせよ、こういう表現は著しく不適切である。
こういうことを教皇自ら言い始めると、ドイツやオーストリア、一部のスウェーデンなどで燃え上がっている若者世代のネオナチ運動を少なからず後押ししてしまう効果も生む。
「やっぱりあの時、徹底的に駆除しておくべきだったんだ。」
望ましくない傾向である。
「ジハード(聖戦)」と「クルセード(十字軍)」とが正面衝突して臨界大爆発を起こすことを避けるために、教皇は行動をとっていかなければならない。
なぜ、こんな古ぼけたおねぼけ爺さんが教皇になってしまったのだろうか。JP2世の他界後、ラッツィンガーが教皇にあっさり決まったことにキリスト教世界は少なからず驚いた。決まるとしてももっと揉めるだろうと予想されたから。だが、実際はかなりすんなり彼にまとまる。彼が強く支持されたかというとそうではなく、実際は非常に意見が割れたはずで、古参の伝統主義者、保守的な枢機卿たちがまだまだ多すぎることを見て取った柔軟な改革派の枢機卿たちが、とりあえず、もうかなりの高齢で、先行きそれほど長くなく、おそらく大した指導性も発揮しないであろう彼を教皇に据えておけば彼ら保守派の枢機卿らをなだめることができるだろう、と見極めて、その次を睨んだ布石にしよう、と考えを切り替えたからという見方が強い。そうでなければあれほどあっさり決まらなかったはずだ。
しかし、予想したとおり、自分の教皇名に「ベネディクト16世」を選ぶところからして超保守的な態度をとった彼は、ヨハネ23世や、ヨハネ・パウロ2世らが地道に長きに渡って築き上げてきた宗教界の遺産をかなり壊してしまっている。そのうち、年に何回かはトリエント・ミサをやるようにしよう、エキュメニズムはしばらく控えめにしようとも言い出しかねない。今のカトリックは「冬の時代」である。