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(回答先: ローマ法王庁、ベネディクト16世発言で謝罪声明 【読売新聞】 投稿者 いいげる 日時 2006 年 9 月 16 日 23:10:46)
2006年09月16日
http://nofrills.seesaa.net/article/23819530.html から転載。
ベネディクト16世の発言
ローマ法王(教皇)ベネディクト16世の発言が「波紋を呼んでいる」という報道を知った。
イスラム教侮辱、ローマ法王の発言に反発と波紋
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060915id23.htm
ローマ法王は12日にドイツで行った神学講義の中で、「預言者ムハンマドが新たにもたらしたものは邪悪と残酷だけ」と指摘した。
イスラムは「邪悪」と発言 ローマ法王発言に怒り広がる
http://www.asahi.com/international/update/0915/010.html
※記事自体は時事通信のもの
ローマ法王ベネディクト16世が、イスラム教が本質的に暴力を容認する宗教であるかのような発言をし、イスラム諸国から怒りの声が相次いでいる。・・・略・・・
ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘。その上で、イスラムの教えるジハード(聖戦)の概念を批判した。(時事)
yomiuri.co.jpの「〜と指摘した」、時事の「〜などと指摘」という書き方はちょっと違うんでないかと思うのだが(昔のビザンティンの皇帝の発言の引用で)、ともあれ、BBCならもっと詳しく出ているに違いないのでBBCへ。
Muslim anger grows at Pope speech
Last Updated: Friday, 15 September 2006, 11:08 GMT 12:08 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/5347876.stm
Speaking in Germany, the Pope quoted a 14th Century Christian emperor who said the Prophet Muhammad had brought the world only "evil and inhuman" things.
ドイツで話をしたときに、教皇は、預言者ムハンマドは世界に「邪悪で非人間的な」ものをもたらしただけだと述べた14世紀のキリスト教徒の皇帝のことばを引用した。
BBCは教皇の発言(の英訳)の重要な部分だけを抜粋して記事を立てている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/5348456.stm
講義全文はPDFでダウンロードできる。
http://news.bbc.co.uk/1/shared/bsp/hi/pdfs/15_09_06_pope.pdf
ちょっと時間がないので全文を読むことを怠って(第一全文を読んだとしても理解できんだろう、神学講義は)BBCの抜粋だけを読む。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/5348456.stm
問題の箇所は次のようになっている。
I was reminded of all this recently, when I read... of part of the dialogue carried on - perhaps in 1391 in the winter barracks near Ankara - by the erudite Byzantine Emperor Manuel II Paleologus and an educated Persian on the subject of Christianity and Islam, and the truth of both.
In the seventh conversation...the emperor touches on the theme of the holy war. Without descending to details, such as the difference in treatment accorded to those who have the "Book" and the "infidels", he addresses his interlocutor with a startling brusqueness on the central question about the relationship between religion and violence in general, saying: "Show me just what Muhammad brought that was new, and there you will find things only evil and inhuman, such as his command to spread by the sword the faith he preached."
The emperor, after having expressed himself so forcefully, goes on to explain in detail the reasons why spreading the faith through violence is something unreasonable. Violence is incompatible with the nature of God and the nature of the soul. "God," he says, "is not pleased by blood - and not acting reasonably is contrary to God's nature. Faith is born of the soul, not the body. Whoever would lead someone to faith needs the ability to speak well and to reason properly, without violence and threats."
アンカラ付近の冬期用のバラックでおそらく1391年に、博覧強記のビザンティン皇帝マヌエル2世と、教養の高いペルシア人が、キリスト教とイスラム教、そして両宗教の真実(truth:これは宗教的コンテクストでは翻訳が難しいのでとりあえず直訳)という主題で対話を行ないました。それを読んだときに、いろいろと思い出しました。
7回目の会話で・・・皇帝は聖なる戦争というテーマに触れます。重箱の隅をつついて「聖書」を持っている者に対する扱いと「異教徒」に対する扱いとの違いといったことを話すのではなく、皇帝は、いきなり宗教と暴力との関係一般についての中心的な問いに入ります。皇帝は次のように言います。「ムハンマドがもたらした新しいものを見せよ。ムハンマドは刀をもって宗教を広めた。そのように邪悪で非人間的なものしか見ぬであろう。」
皇帝はそのように猛烈な調子で意見を述べると、暴力を通じて宗教を広めることが何ゆえ理にかなわぬものであるか、その理由について仔細に説明し始めました。暴力は神の本質、魂の本質とは相容れぬものであります。皇帝は「神は血を見てお喜びにはならぬ。理にかなうように行動せぬことは神の本質とは逆である。信仰とは魂からくるものである。身体からではない。誰かに信仰を抱かせたい者は誰でも、能弁でなければならず、理知で諭さねばならぬ。暴力や脅迫は要らぬのだ」とおっしゃいました。
※追記:「ローマ法王の聖戦批判発言とは? 要約」
http://news.goo.ne.jp/news/goo/kokusai/20060916/20060916-001001-gedit.html
こちら、BBCよりも省略の箇所が少ないようです。追記終わり。
マヌエル2世は、ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/マヌエル2世パレオロゴス)を参照すると、1350年〜1425年。(インテリ系というか武人というよりは文人タイプの皇帝だったようですね。)
この対話が行なわれた「1391年」というと、「父親の死期〔死後?〕にオスマン帝国バヤズィト1世のブルサの宮廷において捕虜であったが、脱出に成功。早速バヤズィト1世によって帝都コンスタンティノポリスが包囲され、ニコポリスの会戦において西欧のキリスト教国軍が敗戦。もはや帝都の安全もままならなくなった」と書かれている期間ではないかと思う。英語版(http://en.wikipedia.org/wiki/Manuel_II_Palaiologos)には1390年に何かあったあとにオスマン帝国の宮廷で捕虜になったとあり、続けてHearing of his father's death in February 1391, Manuel II Palaiologos fled the Ottoman court and secured the capital against any potential claim by his nephew John VII. Although relations with John VII improved, the Ottoman Sultan Bayezid I besieged Constantinople from 1394 to 1402. とあるので、1391年というと、「ブルサの宮廷において捕虜であったが、脱出に成功」した時期だろう。
「ニコポリスの会戦」ってのは、高校で世界史をやった人なら聞いたことがあるはずだが、ハンガリーなど欧州のキリスト教勢力と、バヤジット1世のオスマン帝国のイスラム教勢力との戦いで、「最後の十字軍」とも言われる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Nicopolis
にはthe crusade of Nicopolis(ニコポリス十字軍)という別名がある、とも説明されている。
教皇としては、東ローマ帝国皇帝マヌエル2世のこのエピソードに講義で言及したのは、「宗教と暴力との関係一般」を述べるつもりだったからなのかもしれない。というか、「宗教と暴力の関係一般」についてキリスト教徒に話をするときに多くの人にわかりやすい例として、マヌエル2世のこの対話、なのかもしれない。
しかし、こういうご時世に、こういうコンテクストの歴史上の逸話を、キリスト教の大きな勢力、ローマ・カトリックのトップが持ち出すに際しては、いくらその発言の場がキリスト教の内部であっても、もうちょっと考えたほうがいいんじゃないかと思うのだが。特にこの方は、過去において何もなかったわけではない(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/5349808.stm)のだから。
ましてやマヌエル2世の時代には「十字軍」があったのだから。
イラクのファルージャを米軍が包囲したときに、戦車の大砲に十字架がかけられている写真があった。米軍の人としては「武運長久を願う」といった感じだったかもしれないけれど、それがエンベッドの写真家によって写真に撮られて(ロイターだったかな?)世界中に配信されたとき、ムスリムにとっては「十字軍」と映る。十字架が「個人の内的な信仰のしるし」ではなく「外部からの侵略のしるし」に見える場合も場所もある。シンボルの持つ意味が変わって受け取られることはキリスト教だけでなく、イスラム教でも、あるいはヒンズー教でも仏教でも、現にあることだ。それについてナイーヴ(naive)な、あるいはナイーヴなふりをしている宗教指導者もいるだろうけれども、「宗教が政治に利用される」ことの危険を警戒するのと同じように、その種類のナイーヴさは警戒すべきじゃないのだろうか。その宗教自体が。
http://en.wikipedia.org/wiki/Crusade
The Crusades were a series of military campaigns waged in the name of Christendom and usually sanctioned by the Pope. They were of a religious character, combining pilgrimage with military warfare. When originally conceptualized, the aim was to recapture Jerusalem and the Holy Land from the Muslims while supporting the Byzantine Empire against the "ghazwat" of the Seljuq expansion into Anatolia.
ま、「十字軍はオフェンスではない、ディフェンスだ」という主張もあるかもしれないですが。(私はそれは「なかった」論と同様のものだと思いますが。)
なお、教皇が「刀で布教」なんてムハンマドしかしてないと考えているとしたら、インカ帝国とかを考えてみるべきだと思う。
ただ、「邪悪で非人間的」云々というのは、教皇自身の言葉ではないのだから、「教皇が〜だと指摘した」というふうに書くのはちょっとおかしいんではないかと思うし、この発言をそう解釈することもズレをますます大きくさせるだけだと思う。
BBCのご意見投稿はこちらです(Were the Pope's remarks 'anti-Islamic'? ― http://newsforums.bbc.co.uk/nol/thread.jspa?threadID=3822&&&&&edition=2&ttl=20060917023749)。いくつか拾い読みしたけど、「おもしろい」と感じることのできるご意見はほとんどない。私の気分や感覚の問題かもしれんが。
しかしこういうanti-sosoってどっか別のコンテクストでよく見るよな、と思ったら、anti-semiticだったり。チョムスキーとかマイケル・ムーアとかピーター・ジェニングズに対するAnti-Americanという語の使い方も似てるかも。
そーいえば「過去において何もなかったわけではない」メル・ギブソンが酔っ払って車を運転していた上に「ほにゃらら」と言ったということで、anti-semiticだと非難される(http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/5261402.stm)ということがわりと最近あったばかり。(いや、メル・ギブソンには私はまったく興味がないので、どこらへんまで妥当な非難なのかもさっぱりわからないのだけれど、ある程度は妥当なのだろうと判断してはいる。)
そうそう、英国で「政府に反対している」とか「わが国の歴史を批判的に見ている」人に対してanti-Britishという言葉が使われる例は、最近のケン・ローチの映画(The Wind That Shakes the Barley)の公開前のけなし記事のおそろしいほどの噴出までは、もろに極右なところ(なんちゃらヴァンガード等)以外では見たことがないんですよ。ケン・ローチにしても、映画が公開される前に右翼が騒いでいただけというか(ケン・ローチはガチで左翼なので右翼からは常に敵視されていますが)、公開されたら一気に静かになってしまった。というわけで、Anti-Britishというのはあんまり見かけないんですが、どうでしょう。
この記事へのコメント
The GuardianのComment is Freeに、ガーディアンの宗教・王室担当記者のStephen Batesが書いた記事が上がっている。
http://commentisfree.guardian.co.uk/stephen_bates/2006/09/post_390.html
September 15, 2006 12:11 PM
大筋、「教皇の言わんとしていたこととは関係のない細部を取り上げて激しく非難するのはいかがなものか」という論調で、「問題」とされている部分は教皇自身の見解を示しているわけではないということをはっきりと“指摘し”、教皇には罪はないと“弁護している”。ついでに書いておくと、誰が非難の声を上げたのかを、Batesは具体的に挙げている(第2パラグラフ)。
実際、BBCが抜粋した教皇の講話のトランスクリプトにざっと目を通すだけでも、本題は「イスラム教非難」ではなく、「(キリスト教における)理性と信仰」だということははっきりとわかる。
ただ、今回の件の本当の問題は、「キリスト教という閉ざされた場」を前提として、教皇が発言していることだと思うんだよね。たとえ今回の“騒動”が「イスラム原理主義者」の煽ったものであるにせよ、教皇という立場にある人は、自分の発言がどういう結果に結びつく可能性があるかをもう少し予測してくれないと、溝はますます広く深くなるんではないかと。
一方で、「結果を予測して慎重に」という姿勢が、今年2月の「ムハンマド戯画」騒動のときのように、「無言の圧力による言論封殺である」「我々の言論の自由が脅かされている」といった論を生じせしめることも考えられるのだが、「教皇の発言は問題だ」と騒ぐ側も「問題だといちいち騒ぎ、時には脅迫を行なうことで我々の言論を殺そうとしている」と言う側も、結局のところ、どっちも「政治的」である。
ガーディアンのCiFのコメント欄は、欧州各地からコメントが寄せられている。中にイタリアの人のがあって、そこには今回の発言をした教皇について「Reckless indeed(まったく軽率)」とある。「中東にはイタリア軍が大勢いるというのに」と。
「発言する前にもっと考えるべき」という意見は、このイタリアの人のコメントのほかにもいくつか書き込まれている。(コメントの数が非常に多く、投稿者どうしのアーギュメントになっている箇所もあるので、全部は読んでいないが。)
なお、Batesの本文では、問題の「ムハンマドは刀をもって」の箇所の本来の発言者であるマヌエル2世について、Manuel II Paleologus, who as I am sure you all know was an educated Persian(マヌエル2世は・・・ペルシャ人)と書いているが、これはナゾ。東ローマ帝国の皇帝(パレオロゴス朝)が「ペルシア人」? 教皇の講話のトランスクリプトには、「皇帝がペルシア人と話をした」とある。