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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2322427/detail
【PJニュース 08月15日】− 戦後62年目を迎えた。戦争を知る世代の人々は年々減っていき、戦争の記憶が日本の中から薄れつつある。戦争の悲惨さは後世に伝え続けなくてはならない。しかし私自身も戦争を実際には知らない世代であり、歴史の勉強などで学んだ知識しかない。
そこで皆さんに問いたい。皆さんは悲惨な歴史と聞いてなにを思い浮かべますか?予想するに多くの人が「特攻」の歴史を挙げるでしょう。特に神風特攻隊は有名で「KAMIKAZE」はもはや英単語にもなっています。今回私は元神風特攻隊員の吉川昌さんにお話を聞かせていただきました。第三者によってではなく、当事者による生の声をお聞きいただきたい。
PJ「はじめまして。今日はぜひ戦争経験者として、さらには元神風特攻隊員としての貴重なお話をお聞かせください。よろしくお願いします」
吉川「60年以上も前のことなので記憶があいまいであったり断片的にしか思い出せないところもありますが容赦ください。よろしくお願いします」
PJ「まずは、徴兵から終戦までの吉川さんの軍歴を簡単にお聞かせいただけますか」
吉川「昭和18年に学徒出陣で兵隊になりました。始めに千葉県の柏にある陸軍柏自動車学校に入校しました。そこに二カ月間所属した後に次は三重県の鈴鹿に転属しました」
PJ「鈴鹿ではどんなことをなさっていたのですか?」
吉川「鈴鹿では気象教育隊に3〜4カ月所属し、航空気象やモールス信号、さらには無線などの勉強をしていました。そのときにパイロット志願者の募集があり、すぐに志願しました」
PJ「パイロットになるための試験はどこで行われたのですか?」
吉川「立川の第五航空研究所というところで試験を受けました」
PJ「試験の内容にはどんなものがありましたか?」
吉川「くわしくは覚えていませんが試験は2日間にわたって行われ、数学の試験などがあったと思います。また70〜80人中10人くらいしか合格者がでなかったと思います」
【つづく】
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。
パブリック・ジャーナリスト 大森 竜彦【東京都】
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搭乗していた戦闘機に貼り付けていた仲間の声の書かれた日の丸。(撮影:大森 竜彦)