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(回答先: 60年秘めた封印解く【語り継ぐ夏<下> ヒロシマを伝える】―「北陸中日新聞」 投稿者 天木ファン 日時 2006 年 8 月 17 日 20:53:08)
語り継ぐ夏<上> 衛生兵の沖縄戦 石川県加賀市 河崎恭進さん(84)
◇野戦病院の惨状 今も
戦後六十一年目の夏。悲惨な戦争を知る世代が老い、体験を語り継ぐことが容易でない時代になりつつある。「二度と繰り返してはいけない」。戦争を知らない世代への祈りを込めたメッセージ。沖縄で、富山で、広島で、過酷な体験をしながら生き延びた人たちに聞いた。
「早く逃げろー、早く」。暗い洞穴の中で力の限り叫んだ。一九四五(昭和二十)年の沖縄戦に衛生兵として従軍した石川県加賀市の河崎恭進さん(84)は、おびただしい人たちが苦悶(くもん)の末に死んでいった洞穴の夢に、今もうなされることがある。
糸満の洞穴内に設けられた野戦病院。爆撃で左足に重傷を負った兵が担ぎ込まれた。軍医はひざの上からの切断を決めた。だが、麻酔も消毒薬も輸血用の血液もない。立ち会った河崎さんは「死んでしまう」と思った。
河崎さんを含む四、五人がろうそくを持ち、片方の手で兵の体を押さえつけた。舌をかまないように口の中にはタオルが押し込まれた。軍医のメスはためらう様子もなく皮膚を切り裂き、筋肉をえぐった。「うーん、うーん…」。生気を失いかけた兵のうめき。骨があらわになった。ノコギリの歯が骨に当たる音を聞いた。「頑張れよお」。心の中で叫んだ。約一時間が永遠に感じた。
術後、瀕死(ひんし)の兵はやっとのことでこう言った。「ありがとう。自分のかばんに…たばこがあるから…吸って…くれ」。河崎さんは「大丈夫や。頑張れ」と声を掛けるしかなかった。
翌朝、この兵の体は冷たくなっていた。「堪忍してくれ。おれもじきにいくから」
野戦病院はどこもひどい惨状だった。医療とは程遠い現実。重傷者に与える食べ物もほとんどない。傷口には無数のウジがうごめいていた。まだ生きる力が残っている者は「腹減ったあ。何かくれ」と言う。「『かあちゃん、とーちゃん』と言うようになったら、翌朝には大抵、冷たくなっていた」と、河崎さんは目をつぶった。
南風原(はえばる)の地下壕(ごう)に造られた陸軍病院では、軍の撤退に伴い、重傷者に青酸カリや手りゅう弾を配って自決させるよう命令が出た。河崎さんは「人間同士でこんなことできるか」と、それを拒否した。だが一緒に連れて行くこともできず、入り口で手を合わせるしかなかった。
「家族がバラバラになって死んでいく。こんな悲しいことはない」。河崎さんは六十一年前の地獄のような日々を、戦争を知らない世代に語り継いでいる。自分の目の前で亡くなっていった人々の魂を感じながら。 (加賀通信局・林勝)
http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/00/ikw/20060815/lcl_____ikw_____005.shtml