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(回答先: アメリカの核を免罪し、ノーモアヒロシマを北朝鮮の核反対運動にせよと要求する読売新聞社説 投稿者 happyblue 日時 2006 年 8 月 06 日 09:57:05)
こちらは広島の地元紙、中国新聞の社説。
@ヒロシマ61年 「戦争しない国」誓う原点に (中国新聞社説)
'06/8/6
一九四五年八月六日、午前八時十五分―。広島でさく裂した原爆の惨状を、どんな言葉で表せるだろう。阿鼻(あび)叫喚、狂乱、地獄…。それでも言い切れまい。現世を超えたすさまじい人間破壊の光景ではなかったか。
原爆の罪は大きく二つある。殺りくが軍人だけでなく、幼子らを含め市民を無差別、大量に殺傷したことが一つ。それと、放射線による体への深すぎるダメージや永続する恐怖で心さえも壊した非人道性だ。故に二度と人間の頭上に落としてはならない。
広島の原爆による死者数は、四五年末までだけで十四万人±一万人とされる。今なお、死んだ人の数さえ確定しない。今年の原爆死没者慰霊式・平和祈念式で初めて、「氏名不詳者 多数」の名簿が原爆慰霊碑に奉納される。埋め切れないこの事実が、惨禍のむごさの一端を示している。
そうした負の歴史を顧みることなく、日本は再び「戦争ができる国」に向かってはいないだろうか。守るべき「平和憲法」の枠を超えて、戦火の足音が聞こえないか。その道の先には、累々とした屍(しかばね)の光景とヒロシマの悲劇があることを忘れまい。
だから、きょう六十一年目の原爆の日は「ノーモア・ヒロシマ」、そして「ノーモア・ウオー」をあらためて誓う「原点の日」にしたい。
九条の精神守れ
憲法が公布されて六十年たつ。貫かれた平和主義などの原則が改憲論議で揺れる。自民党は新憲法草案を公表。焦点の九条二項について、現行の「戦力の不保持、交戦権の放棄」にかえて「自衛軍の保持」を明記した。憲法解釈を広げ軍事力を膨張させておいて、「軍隊」へと条文化する「既成事実―追認」の動きだ。民主党の憲法提言も「制約された自衛権」を明記する一方で、海外での武力行使容認もにらむ。
だが、日本は戦争で焦土になり、広島は原爆で壊滅した。広島はまた、軍都として多くの兵士を海外に送り出した。被害と加害の両方で、失われた命の重みを知る。戦争と原爆の惨禍を経て生まれたのが、九条の「戦争放棄」と「戦力不保持」の規定である。
今、北朝鮮のミサイル連射など北東アジアの緊張が増し、「やられる前にやれ」の敵基地攻撃論が頭をもたげる。イラク戦争が象徴するように、国際貢献の名の下で「戦地」に自衛隊が出る。そのうえ軍隊を明文化すれば九条の心は失われ、歯止めがなくなる。「再び戦争を起こさない」「海外で武力を使わない」という、ごく当たり前の理念が捨て去られてはいけない。
日米安保の変質
政府が合意した米軍再編の最終報告は、安保政策を大きく転換させた。日米が同盟関係をさらに強め、米軍の世界戦略に自衛隊が組み込まれる構図は「軍事一体化」そのものだ。朝鮮半島から中東までにらむ米陸軍司令部が日本に来る。司令部と一体運用される自衛隊の活動は、憲法が禁じる「集団的自衛権」に触れないか。日米安保条約の範囲「極東」の枠をも逸脱しよう。
ヒロシマの隣、米海兵隊岩国基地には空母艦載機が大量移転する。極東最大級の基地になる。横須賀に配備される原子力空母が兵員輸送で被爆地沖の瀬戸内海に入る可能性さえある。艦載機は海外の戦地へ飛ぶ。緊急時に空母が核兵器を積むことはないか。「非核三原則」は守られるのか。米軍の意向にのみ込まれて、国防政策の根幹がなし崩しに変えられていいはずはない。
いま、世界は核軍縮どころか核拡散の危機にある。冷戦後も三万発近い核弾頭がある。それに、核拡散防止条約(NPT)体制は崩れかけている。北朝鮮は脱退し核保有を宣言。イランはかたくなに核開発にこだわる。非加盟国のインド、パキスタンが核兵器を持ち、イスラエルも事実上の保有国だ。
問われるのは米国の核政策である。インドの軍事利用に目をつぶり、平和利用の原子力協定を結んだ。中国やパキスタンをけん制する思惑が透けて見える完全な二重基準だ。さらに、米中枢同時テロ以降、核兵器を小型化し「使いやすく」する方針を捨てない。限定核使用の危険は高まるばかりだ。
まず軍縮果たせ
しかし、NPT体制は本来、核拡散の防止と核軍縮が表裏一体だ。まず核大国の米国はじめ保有国が、軍縮の義務を果たすべきだ。そのうえで核兵器をこれ以上、拡散させない国際社会の決意と実行、そして検証が要る。核の怖さと愚かさを知る唯一の被爆国日本は米国追随に流れず、核廃絶の道を保有各国に求める大きな責務がある。冷戦後も続く、各国の核による戦争抑止政策を否定し、外交努力による軍縮こそ目指すべき道ではないか。
核被害の生き証人である被爆者は老いた。平均年齢は七十三歳を超す。日本被団協ができて半世紀。地方支部が高齢で活動をやめた。直接の被爆者がいない時代がジリジリと迫る。でも、反核や反戦の心が老いてはなるまい。
被爆体験のない世代が「原点」を継ぐ時代だ。被爆者には今一度、胸が裂けても「あの日」を語ってほしい。原子雲の下の惨状を一行でもいい、自分の言葉で書き残してほしい。子や孫、子どもたちに。広島市内の児童の半数が、原爆投下の日時を正確に答えられない。「知らない」ことの危険を思う。だから伝えることが大切になる。
若い世代も、被爆者の体験に向き合おう。そこから、人間の命の大切さや輝きが見えるだろう。戦争の道に進む怖さも見えてこよう。貴い命を奪う戦争や核兵器はいらない。足元からそれを考える八月六日でありたい。
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200608060149.html