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先日、移民国ならではの番組を見ました。
スタジオに、レバノン系オーストラリア人とイスラエル系オーストラリア人と、その中間という3つのグループに分けたディベート番組です。
祖国のなまりの強い方もいて、彼らの発言の全部は理解できませんでしたが、わかった範囲での感想を述べたいと思います。
まず、この番組の話の前に 伝えておきたいことは、豪州メディアの”公平”ぶりです。
カナの惨殺振りはきちんと報道していましたが、同じ時間をさいて、イスラエルの兵士の死、お葬式、悲しみにつつまれる家族の言葉を、むしろカナの報道より長い時間をさいて、報道していました。
各局の似たような報道姿勢から感じるのは、お互い死者が出て悲しい。どっちも同じように苦しんでいる、というメッセージです。
そういう基本的姿勢が、このディベート番組の司会者にも見てとれました。
イスラエル系豪州人は口をそろえて、民間人、特に子供たちをイスラエル政府軍が”誤爆”したことは、ひどいことをした、と言って、正当化した人はいませんでした。
レバノン系の人に向かって、イスラエル人は、実際みんな平和を望んでいるんだ。
と訴えていましたが、レバノン人は皆大声で反論し、誰もそうだろうな。と納得している人はいない感じでした。(そりゃそうだろうな)
イスラエル人たちに共通するのは、自分の国が危機にさらされているから、攻撃せざるを得ないんだ。という理屈です。(おお、わかっているんだな。滅亡の危機?)
民間人を殺すのはいけないけれど、自分達を攻撃するのをやめてくれればいいのに。ということでした。
レバノン側の言い分は色々でした。
ヒズボラを支持しているという、ネッカチーフの女性は、(ムスリム)、過去を振り返り、今回に限らず、長い間、イスラエルの攻撃で死亡した民間人の数、壊れたエリア、攻撃の回数を訴え、イスラエル人は反論できませんでした。
やはり、ムスリムの女性(キリスト教のレバノン人も多数いる)は、パレスチナ問題を取り上げ、イスラエルの正当性自体に言及し、拍手を浴びていました。
この正当性に関しては、国連での決議を持ち出し、国としての正当性がある、とイスラエル側は言っていました。
テレビを通じ、レバノン政府関係者と、イスラエル政府関係者が参加していました。
レバノン政府関係者は、声を震わせ、イスラエル政府の行った、こども惨殺を犯罪と訴えていました。司会者は、あまり、彼が悲劇をうったえるからでしょうか。
彼に向かい、あなたはイスラエルの兵士の誘拐を忘れている、と、さすがイスラエルを悪者にできない、豪州メディアらしい、反論をしていました。
このレバノン政府関係者は、最後までイスラエル政府関係者と対話することを拒みました。
司会者が、彼に向かい、まだ対話を拒みますか?と尋ねたところ、イスラエルのようなテロリスト国家とは、対話できない、と言い、レバノン側の人々から、大きな拍手を浴びていました。
このレバノン政府関係者や、半分涙目で訴えるムスリムの女性らに比べ、イスラエル系豪州人は、心の底からわきでる、くやしさ、憎しみ、悲しさのような、必死さというものが、感じられませんでした。(主観ですが)。
イスラエル人が、イスラエルという国があることを前提に和解なりを考えるのに比べ、この国の存在そのものを問題視するアラブ系のムスリムの人々と、全く会話が成り立たないと感じました。又、アメリカ人がアメリカ政府がやっている残虐行為を知らないのと同様、イスラエル人も、被害にあったことのみ知らされ、自国軍が、まわりのアラブ国家の民間人に行なっている虐殺行為や、非人道的な政策(町を分断するとか、道を通さないとかの結果、病院にいけないなどのこと)も知らされていないのでは、と思いました。