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(回答先: 「フランコがファシスト・・・」、ウム、ただし『親シオニストのファシスト』なんだがネ。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 8 月 27 日 03:36:33)
ああ、忘れてた。シオニストに協力した「ヒトラーの教皇」ピオ12世も。
ピオ(ピウス)12世(在位1939〜58年)は、ナチス政権から多額の「教会税」を受け取り、ナチスの人種主義政策に対して(というか「ホロコースト」に対して)見てみぬふりをしていた、ということで、「ヒトラーの教皇」などと呼ばれ、シオニスト=イスラエルがバチカンを脅迫する切り札になっているのですが、彼についてはどうでしょうか。
拙稿
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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/377.html
超巨大カルト、バチカン研究:(4)「ユダヤ教カトリック支部」?
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で引用したTraditional, American Conservatism for and from the Common Manという注釈のつくサイトOriginal Dissentに寄せられた論文Christian Zionism: A Contradiction in Terms(by Robert A. Sungenis and Thomas E. Woods, Ph.D:2002年6月)の一部を再掲します。
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http://www.originaldissent.com/forums/archive/index.php/t-7952.html
【前略】
教皇ピウス12世は面白いことに『ヒトラーの教皇』と非難されているのだが、ユダヤ人に対して多くの親切と慈善をおこなったのだ。しかしバチカンは常に慈善とシオニズムへの支持との区別を注意深くつけていた。こうしてピウス12世が4000人のスロバキアの子供たちを救ってパレスチナに送る手助けをしたとき、ワシントン司教区のアムレト・G.シコニアーニは、この教皇の行動がシオニズムへの援助であることを意味しない、と大急ぎで言及した。「かつてパレスチナにはヘブライ人が住んでいたことは事実である。」シコニアーニ大司教は1943年6月にローズベルト大統領のバチカンへの使節団に対して手紙を書いた。「しかし歴史の中には、19世紀も前に立ち去った国に人々が戻る必然性を証明する道理は存在しない。」そして彼は付け加えた。「もし『ユダヤ人の祖国』が望まれるのなら、パレスチナよりもふさわしい土地を見つけることはそれほど難しいことではないだろう。その地でのユダヤ人たちの人口増加で、新たに深刻な国際問題が沸き起こるかもしれない。」
【後略】
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また、次からも一つ。
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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/822.html
1958年のバチカン・クーデター:簒奪された「グレゴリオ17世」の教皇位
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ヨハネス23世、本名アンジェロ・ロンカッリ(Angelo Roncalli)は、1881年に貧しい小作農の息子として、イタリアのベルガモ県の寒村Sotto il Monteで生まれた。前任者であるピオ12世(エウジェニオ・パセッリ)が代々ローマ教会に人材を送り込む貴族の家柄だったのと非常に対照的である。
彼が正式にカトリックの僧侶になったのが1905年であり、1935年にトルコとギリシャに、バチカンの大使に相当するApostolic Delegateとして派遣された(〜44年)。その間に大司教ロンカッリはヨーロッパから逃れてきた数千人のユダヤ人たちを助けたと言われる。
これに関しては、トルコの首都アンカラにあるビルケント大学のトルコ史教授STANFORD J. SHAWが次のように書いている。
http://www.sefarad.org/publication/lm/044/5.html
TURKEY AND THE JEWS OF EUROPE DURING WORLD WAR II
【前略】
大戦中にロンカッリはさらに先に進んだ。彼は女子修道会「シオンの姉妹たち(the Sisters of Sion order of nuns)」に、ユダヤ機関が情報をやり取りするのを助けるために東ヨーロッパにある彼女ら自身の通信ネットワークを使うようにさせた。そして特にハンガリーのユダヤ人たちに衣服と食料を与えたのである。イスタンブールから東ヨーロッパに向かう他のバチカンの使者たちもロンカッリの命令で同様のことをした。彼はナチスからハンガリーのユダヤ人を救うために、偽の改宗証明書を彼らに持っていかせることすらしたのである。
【後略、翻訳・引用終り】
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ピオ12世がロンカッリの行動を知らなかったはずがありません。バチカンの情報網をナメちゃいけない。しかしこの「ヒトラーの教皇」は、ロンカッリのシオニストに対する協力を止めたり非難したりするどころか、彼を1944年に解放直後のパリの大使へ、1953年に枢機卿へと矢継ぎ早に昇進させます。そして彼は1958年に「疑惑のコンクラーベ」を経て教皇の座(ヨハネス23世)に上り詰めます。
先ほどのOriginal Dissentの記事では『ピウス12世が4000人のスロバキアの子供たちを救ってパレスチナに送る手助けをした』と書かれてあったのですが、これがロンカッリによって行われたものかどうかは書かれていません。しかし、当時トルコのバチカン大使をしていたアンジェロ・ロンカッリの手を通さなかった、と考える方が不自然でしょう。彼はその以前(1925〜35)にはやはり東欧ブルガリアの大司教、そしてギリシャの名誉司教という重責を任されているのです。
バチカンは、ドイツや東欧から「ナチ印の箒」で掃き出されたユダヤ人たちを「シオニスト印の塵取り」に集める役目を果していたのです。
その同じバチカンが、大戦が終わると即座に、数万人といわれるナチ残党(クロアチアのウスターシを含む)をアメリカ大陸に輸送する「バチカン・ラットライン」の作業に取り掛かります。それに全面的に関わったのが後にCIA長官となるアレン・ダレス、SSのカール・ウォルフ、ムッソリーニの腹心の部下でメーソン組織P2を率いたリチオ・ジェッリです。
そうしてイスラエルが『ヒトラー』『ムッソリーニ』『フランコ』などを持ち出しては欧州各国にたいして恐喝・ゆすり・たかりをやってんだから、なんともケッタイな世界だ! ジャーナリストたるもの、このケッタイさをジャンジャン報道すべきではいのかな? まあフィスク氏は西側世界のジャーナリストの中では優秀な方だけど。