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(回答先: 米国の反戦活動家【無題(常石)】 投稿者 gataro 日時 2006 年 6 月 28 日 19:58:43)
2006年6月27日 (火)
http://tsune-3.cocolog-nifty.com/non_title/2006/06/post_6952.html
歴史的事実――僕は甘かった
今日も、バンクーバーの世界平和フォーラムでの見聞だ。
今日の話も、昨日、こちらの時間で25日の日曜日、のワークショップでの経験だ。ワークショップは「撫順の奇跡」だ。
撫順の奇跡とは、第二次大戦後、中国の捕虜となり撫順の戦犯収容所(中国は戦犯管理所と言ってる)に収容された旧日本兵が人としての自分自身に覚醒し、戦時中の残虐行為を心から悔い、日本に帰国後「中国帰還者連絡会(中帰連)」を結成し、日中友好に努めたことを指している。2002年に中帰連は解散した。それを受け継ぐ形で、現在「撫順の奇跡を受け継ぐ会」が若い人を中心に組織され、活動を行っている。
撫順で芽生えた想いが、国を超え、世代を超えて受け継がれている。これも「奇跡」だ。
さて今日の本題だ。
パネリストの一人が次の話を紹介した。
若い中国人所員が、自分が担当する日本人に、彼の父を殺した人物を見つけた。若い所員にとってその日本人は仇だ。しかし上司から「報復の応酬は悲劇を繰り返すだけだ」と諭され、収容所の仕事を続けた。そしてある日、その元日本兵が急病となり苦しんだ時、若い中国人は彼を背負って医務室に運び、仇の命を救った。そうした経験が中帰連の人々の心に響いており、それが奇跡を生む原動力となっている。
これは有名な話で、僕もそう信じていた。
ところがカナダ人の歴史研究者が「若い中国人が元日本兵を救ったという事実を立証する文書はあるのか?その話は中国の宣伝ではないのか?」と質問した。
僕はそんな検証を全くすることなく、この話を信じていた。
僕は自分の甘さを痛感させられた。歴史研究者として歴史的事実と向き合う時、僕は甘かった、と震撼した。
ワークショップは怖いことだけではなく、勇気づけられることもあった。
参加者の一人が、この奇跡を他の戦争や争っている国々に起すことはできないか?と質問した。そのときに僕が思ったのは、一度起きた奇跡は繰り返せる可能性がある。一度実際に起きたのだから、再度起すという希望を持って活動すれば良いのだ。一度起きた奇跡を、奇跡のままにしてはいけないのだ。