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2006年6月26日 (月)
http://tsune-3.cocolog-nifty.com/non_title/2006/06/post_39c4.html
米国の反戦活動家
先週からカナダのバンクーバーに来ている。世界平和フォーラムに参加するためだ。
今日、日本時間では26日の早朝、バンクーバーでは25日の昼、シンディー・シーハン(Cindy Sheehan)さんの話を聞くチャンスがあった。
とても聞きやすく、また説得力もあった。彼女が米国で多くの人から支持されている理由の一端を身を以て体験した。
彼女が全米を代表する反戦活動家になってしまったのは、彼女の息子がイラクでの戦争で戦死したことがきっかけだった。息子のケーシー・シーハン(当時、24歳)は、2004年4月、バグダッドで戦死した。それがきっかけで彼女はイラク戦争の意味を問うことになった。
調べてみると、彼女は2004年末には運動を立ち上げているが、それが全米に広がったのは2005年8月だった。今日のスピーチで彼女は「マスメディアの対応が変わったのは2005年8月でした」と述べていた。
2005年8月、それまでほとんど取り上げられなかった彼女の戦いが、彼女が米国大統領、G・W・ブッシュに面会を求めて、大統領が休暇を過ごす農場から8kmのところで野宿を開始した時から、多くのマスメディアの注目を集めるようになった。その頃から支持が全米に広がった。
彼女の問いは、自分の息子はなぜ死んだのだ、何のための戦争なのか?犬死ではないのか?ということだった。この唯一つの疑問に大統領は、「今日、未だ答えていない」と指摘していた。
今日の彼女の話は、先ず母親として、次いで人間としてのありようを述べ、私たちは「国民である前に、人である」というところから始まった。宇宙の中の人というレベルで言えば、米国の人も、イラクの人も、アフガンの人も皆同列であるし、戦う必然性はない。
地図の上に引かれた一本の線、国境が、国家主義、愛国主義そして軍国主義を作り出していく。それが戦争機械を操ることになる。
人はもっと小さな国境を作ることがある。それは私有財産であったり、企業であったりする。そこには制服で色分けされた企業主義がはびこり、小競り合いやら不要な軋轢が引き起こされることになる。
彼女の呼びかけは、他の母親の子供に目を配るような、別の愛国主義、別の国家主義を、非暴力で作り上げよう、ということだった。
そうしたことが実現できていれば、自分の息子がむざむざイラクで戦死すること(殺されること)はなかった、と述べた。息子は誰に殺されたのだ?彼女はイラクに殺された、とは言わなかった。
むしろ、米国がイラクで動かしている「戦争機械」によって殺された、と考えているはずだ。それが、大統領への質問になっている。