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(回答先: 5/19-20の国後島・色丹島訪問中の鈴木宗男の日記 投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 5 月 21 日 02:25:44)
2006年5月22日(月) 鈴 木 宗 男
7時朝食(日本時間5時)、7時半出港手続き。19日にコーワリ南クリル地区長と会った際、22日に短時間のインタビューをお願いしたいと言われ、サハリンTV、新聞「国境にて」の記者であるキセリヨフさんがスモルチコフさんに案内されて乗船。「鈴木さんのことを国後の島民は心配していましたが、カムバックされて良かったです。色丹島の皆さんも喜んでいたでしょう。色丹の皆さんも鈴木さんを心配していました。サハリンの皆さんも同じです。」と、とても温かい言葉をかけられ、感激した。今回の訪問の意義、今後の友好関係について私の想いを伝える。
8時出港。天気も良く、無事根室港に接岸。19日のボヤ騒ぎを考えると、本当にホッとする。
根室港に海上自衛隊の掃海艇「さくしま」がおり、表敬挨拶。「さくしま」とは平成3年7月ペルシャ湾で機雷除去の国際貢献の時、外務政務次官として激励に行ったのだ。また、平成5年7月、奥尻地震の時に救援に来てくれた。2回とも落合司令(沖縄で亡くなった太田海軍中将の息子さん)であり、巡り合わせを感じながら、第45掃海隊さくしま艇長はじめ、乗組員、自衛隊関係者にご挨拶する。
13時半から記者会見。私は日本国民の善意である人道支援は感謝され、かつ十分島民の生活に寄与していると伝える。コーワリ南クリル地区長、セデーフアナマ村長、ミケーロフ斜古丹村長はじめ、多くの関係者の発言を紹介する。これからも医療、環境での人道支援が大事であることを強調する。特に環境面では、色丹と根室・北海道は一体の関係だ。色丹での環境破壊は根室・北海道への環境破壊につながり、水産資源に大きな影響を及ぼす。知床が世界遺産になり、将来北方領土ともあわせて世界遺産指定されることを考える時、なお環境問題は重大である。
また、日露関係について島の皆さんはプーチン大統領の決定には従うという空気であり、現実的対応を考えている。日本の方がこの5年間、空白の日露関係でなかったかと具体的事例を挙げ、特にロシア担当の外務官僚の不作為を、例を挙げて説明した。
15年目になるビザなし渡航だが、この節目の年に入域手続き、帰港時の税関手続き等、更なる簡素化に向け、外交協議をして欲しいものである。何よりも領土問題解決に向け、日ソ共同宣言から50年の今年、大きな歴史の扉を開いて欲しいものである。小泉首相の大英断を期待したい。
17時半の飛行機で上京。経済界の人達との懇談会に出席。北方領土の話で盛り上がる。
2006年5月21日(日) 鈴 木 宗 男
9時半(日本時間7時半)桟橋が使えず、艀(はしけ)で色丹島へ向かう。10時からギドロストイの水産加工場視察。冷蔵庫はドイツ、デンマーク、機械はアメリカ。これをみて、「取り残される日本、どうなっているのだ」という思いだ。
11時日本人墓地お参り。きれいに整理されていた。アイヌ人のお墓もお参りし般若心経一巻あげさせていただく。アイヌ人の墓地はロシア正教墓地の中にあるとのことだが、日程の都合で行く事が出来なかった。また、ここのアイヌ人のお墓はカタカナで大勢の人の名前が書かれており、アイヌ人をまとめてお祀(まつ)りしているとのことで、心からのお参りをする。今回の色丹訪問の目的の一つが、アイヌ人墓地お参りでもあったので、手を合わせることが出来てよかった。
12時から斜古丹の診療所視察。平成7年10月完成、引渡し式に出たことを想い出し感無量であった。フィシュク産婦人科の先生が訪問団に挨拶説明し、その中で、レントゲン、各種機械医薬品の援助に感謝を申し述べ、私の名前まで出していただき感謝する。人道支援の重みをしみじみと感じた次第だ。
14時半から島民との対話集会、日本ロシア文化紹介。日本側団員の1人が「北方領土についてロシアではどんな教育をしているのか」という質問をしたのに対し、セデーフ村長は「18世紀に入ってコサック兵がカムチャッカからクリルに南下、その当時の資料で確認できる唯一の民族はアイヌであった。アイヌは当時ロシアと商取引していたがコサック兵との衝突もあった」とアイヌの先住を話され私は納得した。北海道にも言えることで、歴史の事実に基づいて北方領土問題を文化の面で国際的スタンダードの観点からも話を進めることが出来ると考えた次第だ。島民のドダイエさんが「友好が深まったのは1994年10月の地震後のことで、人道支援、食料のみならず、必要なものを支援してくれ、学校、発電所や診療所に鈴木宗男さんのご尽力があった」といってくれる。金額まであげての説明で、島民の理解を得る話であった。約3時間の集会であったが島民の日本への関心、又、日露関係についての情報は十分に入っており、やはり、お互いの信頼関係が重要だとつくづく思う。私も「日露の最高首脳が過去の発言、声明、条約を守り法と正義に基づいて未来志向で解決すると約束している。外交は相手があることであり、お互いの名誉と尊厳を尊重しながら現実的解決を図ることしかない」と過去の様々な首脳会談の例を出して話をする。出席者からブーイング・反発の雰囲気もなく、セデーフ アナマ村長、ミケーロフ斜古丹村長も耳を傾けてくれ、それなりに真意は理解されたと思う。
17時半から夕食交流会。ここでもミケーロフ斜古丹村長は乾杯の挨拶の中で「診療所はじめ各種支援に鈴木宗男さんのお力添えがあった」と感謝してくれる。出席者の中に息子さんを北海道大学で治療し見舞いに行ったアレクサンドル・イワノビッチさんご夫妻が来ておられ、心のこもったお礼のご挨拶をいただく。昨日、今日と色丹島の人情を十分感じ、少しでもお役に立てたことを嬉しく思うものである。
20時船に戻り、古釜布に向け20時50分出発したが、無事予定通りの日程をこなすことが出来た。また、所期の目的を達成できてよかった。日露の関係者に感謝したい。島民の率直な、正直な発言を外務官僚はどう受け止めるのか。今回の私の訪問についても外務官僚がいろいろな雑音を発していたことが、内閣府からも外務省関係者からも入っていた。今回の同行者も居心地はどうだったのか、同情するものである。
国民に選ばれた国会議員として、私は信念を持って歩いていきたい。正直者が馬鹿をみないためにも、私は頑張らなければならない。6年ぶりにビザなし交流に参加し、新しいエネルギーを得た思いである。
http://www.muneo.gr.jp/html/diary200605.html