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(回答先: インドとの原子力協力は二重基準で…米国務次官が本音(Yomiuri)ー「別扱いできるのは幸運」だとさ 投稿者 ああ、やっぱり 日時 2006 年 3 月 28 日 19:15:30)
「米国の核論理の転換示す対印接近」 2006年3月16日
理事長兼所長 伊藤 憲一
<核拡散は避けられぬ趨勢>
核の論理が、冷戦後、そして米中枢同時テロ9.11以後、様変わりしてきている。それに駄目押しをしたのが、今回の米印接近である。
核拡散はもはや避けられない趨勢となった。プロメテウスがゼウスから火を盗んだあと、もはや人類を火から遠ざけることはできなくなったように、核もまた、これを未来永劫に封印することは不可能である。
そもそも知識や技術は必ず伝播するものなのである。加えて、地球規模でものごとが進むグローバリゼーションを背景として「核の闇市場」まで登場している。
「不安定の弧」と言われるユーラシア大陸の南縁に沿って、北朝鮮、中国、インド、パキスタン、イラン、イスラエルの6カ国が核兵器を保有しようとしている。この現実を日本もまた直視する必要がある。
ここまで書くと、「べき」思考の強い日本人からは「唯一の被爆国日本として、そんなことを認めるわけにはゆかない。核は絶対に廃絶される『べき』である」という反発の声が聞こえてきそうである。
しかし、それゆえにこそ、私は主張したいのである。「べき」思考のまえに事実認識としての「である」思考がなければならないと。
この点では、米国の核の論理が様変わりしてきていることにまず注目したい。米印接近はそのことを物語ってあまりある。米国はインドがその核施設を軍事用と民生用に二分し、民生用を国際原子力機関(IAEA)の査察下に置けば、
米国は、インドの原子力発電に技術や燃料を供給するというのである。
一見、インドを核不拡散防止条約(NPT)体制下に取り込もうとするかのごとき印象をあたえるが、そもそもIAEAの査察は民生用を口実に軍事用の核開発を進めることを防ぐことが目的であったのだから、軍事用を査察せずに民生用だけを査察することなどは本来まったく無意味なことである。
これらのことは、すべて何を物語っているかというと、米国の核の論理が転換したことを意味している。
<冷戦の終焉で環境が変化>
NPTが締結された1968年当時における米国の核の論理は、@米ソ英仏中以外の国の軍事用核開発を認めないAそれらの国が民生用核開発をする場合は、IAEAの査察下に置く―というものであった。
この論理を貫くために多くのアメとムチが用意され、日本もその圧力に屈した。
このNPT体制は、米ソ核不戦体制ともいうべき「相互確証破壊(MAD)」体制と表裏一体の関係にあり、当時世界は、これを米ソの「コンドミニアム(共同統治)」と呼んだ。フランス、中国が冷戦時代、ついにNPTに加盟しなかったのは、このためであった。
このような米国の核の論理が、冷戦の終焉後も無傷で残ると考えることには無理があった。
ソ連が消滅したあと、米国はABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約の破棄、包括的核実験禁止条約の拒否などを経て、2005年にはNPT運用検討会議を破綻せしめた。
なぜ米国はその核の論理を転換させたのだろうか。
私は、もはやソ連の核の脅威を無視してもよくなったとの判断と同時に、NPT体制による核不拡散の確保が現実的ではなくなったとの判断が米国に生まれたためであると考えている。
ブッシュ政権は、9.11直後の2001年12月に米連邦議会に「核戦略見直し(NPR)」を提出している。
この報告書は、その内容が非公開とされたため、十分な注目を集めていないが、この報告書が米国の核戦略の転換を論じたことは間違いがない。
<取り残されかねない日本>
米国はすべての非核保有国を一視同仁するのではなく、敵味方を区別して、「グッド・ボーイ」の核保有は黙認するが、「バッド・ボーイ」の核開発はこれを全力阻止するとの戦略に転じたものと思われる。
しかし、この戦略転換はNPT体制の崩壊を糊塗する弥縫策にすぎず、核は長期的には拡散防止不能となりつつあるのかもしれない。
日本は、「核廃絶!」と叫んでいるだけでは、時代に取り残されてしまう恐れがある。
今こそ日本もまた、核の現実を直視し、その戦略をもたなければなるまい。
[『産経新聞』2006年3月16日号「正論」欄より転載]
伊藤 憲一 日本国際フォーラム理事長兼所長
1938年東京生まれ。1960年一橋大学卒業後、外務省入省。在ワシントン日本大使館一等書記官、アジア局南東アジア第一課長歴任後退官。日本国際フォーラムの創設に参画し、1990年より理事長。青山学院大学教授、グローバル・フォーラム執行世話人、東アジア共同体評議会議長を兼任。
http://www.jfir.or.jp/j/column/0610-ito.htm