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旧約の「ソロモン」と「ソロモン神殿」はヒッタイトからの転用か?
http://www.asyura2.com/0601/war77/msg/743.html
投稿者 どん兵衛 日時 2006 年 1 月 20 日 12:22:30: 7oUaiPRSj3bnA
 

(回答先: 【「ハルマゲドン」の引き金か?】アル・アクサ・モスクの地下にシナゴーグ建設! 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 1 月 19 日 20:23:09)

まずは書いておきたいとこから、

キリストは敵を許せと言う、それを守らない信者をお救いになるはずはないのだが、、

良心によらなければエルサレムはナッシングである
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/188.html
投稿者 どん兵衛 日時 2005 年 11 月 22 日 11:58:29: 7oUaiPRSj3bnA

良心の王国は存在する。天の王国は魂にこそ存在する。良心に立脚すれば、エルサレムはエブリシングである。と、言う様なセリフが、「Kingdom of Heaven」という映画にありました。

戦争の火種になる様な土地は既に聖地ではない!

さて、本題、以前読んだ文書を取って置いたので貼り付けます。

旧約の「ソロモン」と「ソロモン神殿」はヒッタイトからの転用か?

##ソロモンの三つのなぞ
 前12世紀、武力均衡のカナンで、イブリー(ヘブライ人)はペリシテ人と攻防を繰り返し、ペリシテを制圧してからは内乱…戦乱続きの内にダビデが死んでソロモンの時代を迎える。通常なら国力は衰えているはず。
 ソロモン王は即位して「たった4年目」に「神殿」建設に着手。しかし『出エジプト』以来テント生活と祭壇しかつくらなかった遊牧文化のイブリーが、どうしていきなり「石造り」の「神殿」などを造ろうとしたのか!?ソロモンの謎の第一である!
 ソロモン王は即位「たった4年」で莫大な資金をかけて「神殿」の建設を始めた。即位前まで内乱状態だったイブリーのどこにそんな資金があったのか!?ソロモンの第二の謎である!
 ソロモン王の治世は約40年であったが、その莫大な富は東南アジア・インドやアフリカに達したタルシシュ船団による外洋貿易で得られたものである。しかし遊牧文化しかなかったイブリーがどうやって航海文化を得たのか!?ソロモン第三の謎である!
 ソロモンの軍も「ウン千人の兵士」が金の盾と鎧を身につけていた
とかいうのになに一つそれがみつかってない。

##ソロモンの正体
 ソロモンの正体に迫る切口はタルシシュ船団。タルシシュの語源はタルシンで「鉄の製錬」の意。この時代、鉄の精錬のHOW TOはヒッタイトの国家機密だった。だからソロモンとヒッタイトには密接な関係がある!
 タルシシュ船団は、当時世界的な海洋民族であったフェニキア人抜きでは考えられない!実際フェニキア船団は東南アジアまで達し、スレイマン(=ソロモン)の「ワニ騙し」伝説を伝え、インドネシアに植民地を作った。

##ヒッタイト日本渡来説
 さらに日本は大分の国東半島に縄文時代の製鉄遺跡があり、ヒッタイト精錬法と確認。日本では「ワニ騙し」伝説は「因幡の白兎」で、大国主命は元は大物主(オーモン=ソロモン)。国東の「宇佐はヒッタイトの首都ハットウサ」との仮説もある。

##ソロモンの正体2
 中東に戻る。『ヨシュアのカナン入り』の頃、ヒッタイト本国はアッシリアに滅ぼされる。カナンに移動したヒッタイト国がフェニキア人と組んで海外に植民するタルシシュ船団の基地が『ソロモンの国』だった!?だからソロモンは金持ちで異教の神を祭った!?
 もしソロモンがヒッタイトの王なら、ヒッタイト王スピルレウマだろう。前にも書いたがソロモンはスレイマンとも呼ばれており、スピルレウマ→スpルレウマ→スrレウマン→スレイマンの変化。スピルレウマ1世は『出エジプト』以前、2世はヒッタイト滅亡時?の王である。時期的にソロモンはスピルレウマ2世にあたる。

##更なる歴史偽造
 旧約の「ソロモン」はタルシシ船団の貿易で富を得た超リッチ!な王。このタルシシ船団はインド方面貿易だったからアラビア海航路。地中海や紅海ではない。メルッハ(現オマーン)を拠点にした海人との貿易であった!
 アラビア海貿易の拠点はメソポタミア(現イラク)の南部、チグリス・ユーフラテス河口の港。この地方をバビロン地方と呼んで、イランの陸の民とアラビア海の海の民の攻防の地であった。
 旧約『ソロモン』の時代、バビロン地方はバクダッド付近を中心とした「アッシリア」と攻防中で、カナンとは直接貿易ができなかった状況。だから旧約『ソロモン』にはアラビア海貿易は不可能!
  地中海貿易も、ヒッタイト-エジプト和平、対岸ギリシャのミュケナイ文明、クレタ、キプロスの安定もあって、フェニキア人が活躍。中東を中心とする貿易経済の最盛期と言っていい。スピレリウマ1世の英知の賜である。
 もし「旧約『ソロモン』=スプレリウマ1世」説が正しければ、『ソロモン神殿』はヒッタイトの首都ハットゥサにあった「第一神殿」もしくはアリンナの「太陽神殿」であった!ことになる。

(貼り付けここまで)

旧約は、出エジプトはイクナートン伝記、ノアの箱船はシュメール神話、他、ミトラス教・ゾロアスター教、バビロニア律法などの寄せ集めの可能性を指摘されますが、ソロモンはユダヤの王でなく、神殿もエルサレムになかったならば、中世以降のエルサレム攻防戦はナンセンスだった!?

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