★阿修羅♪ > 戦争77 > 469.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 伊国営放送 同胞人質処刑ビデオを放映 〜消えた?雇用元の’警備会社’ 投稿者 kamenoko 日時 2006 年 1 月 10 日 21:27:49)
ビデオを撮影したのは私(コリエレ紙04年6月記事)
「ビデオを撮影したのは私」 04年6月27日 by Alessio Altichieri
Abu Yussuf 誘拐グループの一員だったと主張
サンデータイムズのインタビューで「自分のピストルで殺された。
人質解放身代金は400万ドル
ロンドン発-ファブリツィオ・クアトロッキは自分が殺されるのを知っていた。
Abu Yussuf。拘束牢から処刑場所に、背中にピストルを突きつけながら
クアトロッキを誘導した男がとうとう認めた。 Yussuf に憐憫の情はない。
「自分の運命を把握しに、地獄に行っただろう」コーランを引用しながら述べた。
その時クアトロッキは、自分の死がイタリアでどのように報じられるかを尋ねた。
「我々はイタリア政府に軍の撤退を要求するつもりだ」、Yussuf は答えた。
運命付けられた犠牲者は、「何も起こらないだろう。 この件について我々人質は
政府にとって何の意味もなさない。我々に軍を撤退させるほどの価値はない」。
車から降ろされたクアトロッキは、恐怖に満ちていた。 「目隠しをして両手を
背中の後ろで縛った。それから予め掘っておいた墓場の近くに連れて行った」。
そこで犠牲者は目隠しを取るよう要求した。
「お前はイタリア語を話すだろう。最後の願いを聞いて欲しい」Yussufに、
「目隠しを取って、イタリア男として死なせて欲しい」。 しかしその願いは
誘拐グループのリーダーに拒否される。 「そのシーンを撮影したのは、他ならぬ
私だった」。 その後遺体はグループの’裏切り者’によって20万ドルで売られた。
「まあ 我々は見つけるだろう。そして彼の面倒をみてやるつもりだ」。
サンデータイムズ紙Hala Jaber記者による驚愕の記事は、Abu Yussufと名乗る
27歳、学位取得者、仏語と伊語を流暢に話すコンピュータ専門家、酒と女性を愛する
ことからオサマ・ビン・ラディンの911後のスピーチを聞かなければ欧米相手に戦う
など夢にも思わなかったであろう若者のことばを集めたものだ。 ジハード加入と
聖戦。 Jaberの果敢なるインタビュー。 イタリア人誘拐に巻き込まれた者は皆、
他の人質たち 米国人のニック・バーグや韓国人のキム・スン・イル そして
4月に殺害されたクアトロッキ(36歳)と同じ最期を辿ることを怖れていると話す。
Jaberは受け入れた。 彼の仲介者がアルカイダの残忍なトップ アブ・ムサブ・
ザルカウィ信奉者ではなく、イラク人ゲリラのメンバーであることを識別した。
バグダッド西部の自宅でマットレスに横たわる、薄いひげをはやした痩せた若者は、
血なまぐさい話を語る。 Abu Yussuf のリーダーによると、クアトロッキが犠牲に
選ばれた理由は、彼がイスラム教徒が辛酸をなめている国ボスニアとナイジェリアで
働いたため。 このため4人の人質の中から選ばれ、殺害された。
米国が同胞4人の殺害の復讐としてファルージャを攻撃した4月にすべてが始まった。
エリアに侵入した Yussufの細胞(20-50歳の10数名から成る細胞は、’アミール:
首長’の指揮下にある)は、民間人への攻撃を開始。 アメリカ人だけでなく、
ヨルダンから外交官の護衛についていたドイツ人2人の殺害。そして4人のイタリア人が
待ち伏せにあう。 「個人の安全を保障する会社で仕事をしていると言っていたが、
持っていた証明書とポータブルコンピュータから、それ以上の何かであることが
わかった。 彼らはイスラエルで仕事をし訓練を受けていたからだ」。 目隠しも
手錠も無しで、「監禁部屋のドアも開け放していた。なぜなら監禁場所は逃げ道を
見つけるのが難しいところにあったから」。イラク人運転手にだけは気を配っていた。
人質4人は、殺されるのか解放されるのかを繰り返し尋ねてきた。
「Inshallah(アラーが望むなら)お前たちの家族の元に帰れるだろう」Yussufが
一度そのように答えると、サルヴァトーレ・ステフィオが「いやアラーが望むでは
なく、お前がそう望むなら我々は家に帰れるのだ」と返した。 また人質たちは
彼に戦う理由を尋ねた。 アラーの聖戦を戦うYussufは、「ここを去ってどこかに
行かねばならないなら、それはチェチェンかパレスチナだ」と答えた。
クアトロッキを他の人質から離すよう命令を受けたYussufは、それが意味することを
理解していた。 他の人質よりもイラクに長くいるクアトロッキは、それだけ情報も
持っているだろう。 ならば彼に無駄な労力をかけさせない方がよい。
クアトロッキのボスニア、ナイジェリアの過去からは、なすすべがなかった。
(家族は即座に否定)
kame注:上記に投稿した拘束数日後のTV生番組で父上が
アルジェリア・コンゴ勤務歴を口にされていたと記憶しています
ぷち熟女様
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/1085.html
投稿者 kamenoko 日時 2004 年 9 月 17 日 02:02:54:pabqsWuV.mDlg)
その後犠牲者は、背中にピストルを突きつけられながら車に移動させられた。
何か恐ろしいことが起きつつあると理解した彼は、質問し続けたが、Yussufは
「いや、お前を別の場所に連れて行くだけだ」とそれを否定した。 最期まで
真実が伝えられず、処刑の瞬間さえ最期の願いが果たされず、「撃たれる瞬間に
我々の目を見たがった」というYussufは、目隠しを取ろうとしながら頭を撃たれた
イタリア人の死を、サンデータイムズ記者の前で身振りで演じた。
「これまでしたことはないが、私もこの瞬間に ”アッラー アクバル”と
叫び始めた」アラーは偉大。 おぞましい狂信的なシーンだ。他の3人には
繰り返されなかった。 Yussufが言うには、彼らの解放に400万ドルが支払われた
とのこと。 この最期の毒は、安全上の理由で祖国に戻ったHala Jaber記者が
Abu Yussufの声明から持ち帰ったもの。
27 giugno 2004
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Esteri/2004/06_Giugno/27/quattrocchi.shtml