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(回答先: 「勝手に後継者を名乗る」団 投稿者 金十字架 日時 2006 年 5 月 23 日 18:41:04)
フリーメーソンのオカルト結社化については、テンプル騎士団が大きく関係している。
1737年、パリの大ロッジで、「ラムジーの講話」なるものが発表された。この講話を発表したラムジー・アンドリュー・マイケルは、カトリックに改宗したイギリス人で、高位メーソンの法学者であった。そして、フランスにスコットランド式の儀礼を広めた人物でもある。彼は、この講話の中で、こんな説を発表する。
十字軍の時代、聖地エルサレムを異教徒の手から奪還しようとした騎士達は、国籍や身分と言った壁を乗り越えた「霊的な」統一国家を樹立するために、理想的な友愛団を創設した。そして、「連綿と継承されてきた秘儀と叡智」を民衆の間に広めようとした。しかし、これらの知識が不信心者や異教徒の手に渡らないよう、独自の合言葉やシンボルを用いて、暗喩という形で布教を行っていた。
一方、聖地から帰還した友愛団に所属する騎士達はヨーロッパの各地にロッジを設立した。フリーメーソンは、こうしたロッジの生き残りである……。
ラムジーのこの講話は、最初は高級幹部のみに限定して聞かされた。しかし、早くも翌年には小冊子となって一般にも発表された。
彼は、この講話の中で「テンプル騎士団」と言う言葉は使っていない。
しかし、仄めかしているのは確かだ。「ほどなくして我々は聖ヨハネ騎士団と併合された」なる遠まわしな歴史的事実が書かれていた。
また、フランスにはテンプル騎士団の残党がスコットランドに落ち延びたという言い伝えがあった。さらに、どちらも「ソロモンの神殿」と大いに関係がある。フリーメーソンはソロモンの神殿を作った石工の末裔だという伝説もあったし、テンプル騎士団もソロモンの神殿(テンプル)の跡地に幕屋を構えた。こうした偶然が話しに信憑性のようなものを与えてしまった。
さらに、フランスだけではなく、スコットランド派のメーソンの一部にも、紛らわしい伝説が存在したことも、これに拍車をかけた。例えば、ピエール・ドーモンなるテンプル騎士団の騎士がスコットランドの実践メーソンの創立者である、という説だ。その他にも「異境の地」だの「霊峰ヘレドム」など、メーソンには紛らわしい伝説やシンボルがいくつも存在した。
そして、フリーメーソンの「ヒラム・ハビフ伝説」が、テンプル騎士団のジャック・ド・モレーの復讐伝説と、重なりあった。
ヒラム・アビフとは、伝説上の人物で、ソロモンの神殿を建設した大棟梁である。伝説によると、彼はフリーメーソンの秘儀に通じた奥義伝授者だった。ある日、彼の三人の部下が良からぬ考えを起こし、彼を待ち伏せ、秘儀を明かすように脅しをかけた。しかし、ヒラム・アビフは頑として口を割らなかったために殺害される。この三人の下手人は、彼の死体を山に埋め、そこにアカシヤの枝をさしておいた。彼の姿が見えなくなったことに気づいたソロモン王は15人の石工に彼の捜索を命じる。そして、創作中の職人が偶然、アカシヤの枝を手がかりに彼の死体を発見し、それが手がかりとなって下手人の三人は逮捕され、処刑される。
これは、フリーメーソンの象徴的寓意なのだが、ジャック・ド・モレー伝説は、これの繰り返しではないのか? と言うわけである。
勿論、これは完全に空想の産物であり、歴史的根拠は全くない。
そもそも、テンプル騎士団が秘教結社だったということ自体、根拠の無い話しだ。
それどころか、この騎士団は、「秘密結社」ですら無かった。
(これらについては別項で詳述する。)
事実、この講話が発表されてすぐ、スコットランドの大ロッジは「馬鹿馬鹿しい」とのコメントを出したが、この「テンプル騎士団起源説」は、ヨーロッパ大陸で大旋風を引き起こしてしまったのである。