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(回答先: 立ち読みページ 投稿者 金十字架 日時 2006 年 5 月 23 日 18:16:09)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/mason/ougonbarajuuji.htm
黄金薔薇十字団 〜薔薇十字とフリーメーソン〜
GDを始めとした魔術結社の多くは、薔薇十字団の末裔を意識しながら、同時に擬似フリーメーソンリーの位階制を採用している。
本来、起源を異にしている薔薇十字団とフリーメーソンは、いつごろから融合したのであろうか?
ここで重要になってくるのが、「黄金薔薇十字団」である。
薔薇十字の三文書が登場してから、薔薇十字運動は燎原の火の如くヨーロッパじゅうに広がり、以後数百年にわたって活動が行われることになる。
薔薇十字の潮流は、まず2つに大別される。一つは社会的・科学的・哲学的な啓蒙思想運動である。もう一つは、錬金術的なオカルティズム思想運動だ。そして、この錬金術的な思想運動は、さらに2つに分けられる。一つは「実践的魔術師」の潮流であり、もう一つは「思弁的神秘主義」の潮流だ。言うまでもなく、GDは「実践的魔術師」の薔薇十字運動の結社とも言える。
そして、この「実践的魔術師」の潮流は、「思弁的神秘主義者」の潮流から生み出されたのである。
とは言うものの、両者は、はっきりと区別できるものではないし、お互いに干渉しあい、融合したり、対立したりを繰り返してきた。
この両者の違いを、分かりやすく言うなら、「メイザース&クロウリー(実践的魔術師)」と「A・E・ウエイト(思弁的神秘主義者)」の対立と言ったところか? この両者は、どちらが正しいとか、どちらが優れているとか、そういった見方をするより、単に価値観の相違として見た方が公正であろう。両者には一長一短がある。例えば、ウエイトは、ライダー版タロットなどを見ても分かる通り、実践面ではお粗末ではあった。だが、思想史、神学、哲学などの学識の点から言えば、間違いなくウエイトは、メイザースやクロウリーの遥か上を行っていた。
話しを戻そう。
薔薇十字運動とフリーメーソンが結びついた経緯は、まだはっきりとは分かっていない。一説には、ロバート・フラットが両者を結びつけたのでは? という説もあるが、確証はない。ただ、早くもアンドレーエの弟子達がフリーメーソンに接近していたらしい。
イギリスより大陸に上陸したフリーメーソンは、急速に拡大成長を続けていた。そこへ、薔薇十字団の探索をしている人々が、接触した。彼らは、不思議なシンボルを用いて儀式を行うフリーメーソンを見て、これこそが薔薇十字団ではないのか? と思ったのであろう。少なくとも、17世紀には、両者の間に様々な接触があったと思われる。
しかし、薔薇十字とフリーメーソンが本格的に融合するのは、フリーメーソンのテンプル騎士団起源説が流行してからである。
このテンプル騎士団起源説を奉じる者達は、フリーメーソンが錬金術の結社になることを望んでいた。というのも、彼らは素朴にテンプル騎士団を錬金術の秘奥義に通じた秘教結社であると信じていたからだ。
やがて、彼らはテンプル系のメーソンでは満足しきれなくなり、「黄金薔薇十字団」運動へと向かって行くのである。
もともと、テンプル騎士団系のメーソンから発展した「黄金薔薇十字団」は、薔薇十字と銘うちながら、その内実はフリーメーソンに近く、位階制も踏襲していた。やがて、これがGDを始めとした魔術結社の雛形となるのである。
時代が下がると、「黄金薔薇十字団」の系統を引く者達は、テンプル騎士団起源説に魅力を感じなくなり、やがて忘れてゆく。代わりに発展してくるのが、聖書、およびカバラだ。18世紀になると、位階制を生命の樹に当てはめる結社も登場する。
例えば1767年には、以下の位階制を持った結社の存在が数冊の文献に登場する。
1=9 初参入者
2=8 テオレティクス
3=7 プラクテェイクス
4=6 フィロソファス
5=5 小達人
6=4 大達人
7=3 被免達人
8=2 マギステル
9=1 マイウス
この時代に、現代の魔術結社の位階制の雛形が完成していたことが分かるであろう。
ともあれ、こうした一連の「黄金薔薇十字団」の活動は、主にドイツで行われていた。
GDの起源をドイツに求めたくなるのも、クリスチャン・ローゼンクロイツがドイツ人であるだけでなく、「黄金薔薇十字団」の運動がドイツで起こったということも、理由の一つにあるのではあるまいか?
さて、この「黄金薔薇十字団」と言う言葉は、早くも17世紀に登場するが、これは伝説の域を出ないようにも思われる。
むしろ注目すべきは、1710年に出版された「黄金薔薇十字団による友愛団の「哲学者の石」への真実かつ完全な準備」なる題名の本である。著者名はシンケルス・レナトゥスとあるが、これは偽名で、ザムエル・リヒターなる人物が、その正体である。彼はパラケルススとヤコブ・ベーメの熱烈な支持者であった。彼は、この著書の中で、黄金薔薇十字団について語っている。それは63人の定員性を持つ友愛団で、団員にはかの「哲学者の石」が支給されるという。さらに、この団の諸規則、イニシエーション、誓い、秘密の挨拶などが詳細に語られている。
リヒターが語る、この友愛団は実在したのか? 少なくとも、モデルとなった団があっても不思議ではなかろう。
リヒターのこの著書ほど有名ではないが、同時代に「黄金薔薇十字団」について語る写本は、他にもいくつも残されている。
団員に「哲学者の石」を支給する云々は、眉唾にしてみても、この時代に錬金術の研究に主眼を置いた「黄金薔薇十字団」のモデルとなった団が、盛んに活動していたことは間違いないと思われる。
実際、この時代には王侯貴族達も、字義通りの「鉛を金に変える」という無駄な努力に勤しんでいたし、それを冷ややかな目でみるヘルメス哲学者達もまた、多く活動していた。
ともあれ、こうした「黄金薔薇十字団」運動は、先に書いた通り、やがてテンプル騎士団系フリーメーソンと融合してゆく。
18世紀後半になると、「黄金薔薇十字団」を名乗る結社が登場する。
これは先に書いた通りのフリーメーソンの位階制を採用した薔薇十字結社であった。
この「黄金薔薇十字団」の起源はよく分かってはいない。ただ、ヘルマン・フィクトゥルトなる錬金術師によって創設されたか、別の結社を改革して作られたかしたらしい。ヘルマン・フィクトゥルトは、重要な錬金術の秘伝書を何冊も書いていながら、その正体は未だに謎に包まれている。
この「黄金薔薇十字団」は、多くの支部と分派を持ちながら、ドイツ全土に展開する。
1779年には26のサークルを持ち、アメリカ、イギリス、イタリア、パレスチナ、ペリシャにも支部を置いた(?)という。
かのカバリスト錬金術師のローゼンロートやヴァン・ヘルモント等の活躍によってこそ、こうした背景が形作られたのである。
彼らの主な活動は錬金術の研究であった。彼らが用いた錬金術のテキストは多く存在するが、特に有名なものが、ミヒャエル・マイヤーの著書やゲオルグ・フォン・ヴェリングの「魔術、カバラ、神学論集」などが挙げられる・
黄金薔薇十字団の隆盛と崩壊は、18世紀の終わりから19世紀初頭に起こる。
台風の目となるのは、以下の二人の人物だ。
ヨーハン・ルドルフ・フォン・ビショッフスヴェルダー(1714〜1803)は、チュービンゲン出身の貴族であり、テンプル騎士団系のフリーメーソンに入り、その後に黄金薔薇十字団に入団した。
一方、ヨーハン・クリストフ・ヴェルナー(1732〜1800)は、平民の出身であり、当初は牧師を志したが、それも放棄する。そして、貴族の領地を管理する仕事につく。やがて平民でありながら、貴族の娘と恋に落ち、周囲の激しい反発を受けながらも娘の親の許しを得て結婚した。
しかし、その代償は大きく、彼は貴族達から嫌われ、表の社会での成功はおぼつかなくなる。
そのため、彼はフリーメーソンの活動に熱中した。彼はメーソンの高位階につき、5つのロッジの指導者となる。そして、やはりテンプル騎士団系のメーソンの高位階を経由して、黄金薔薇十字団に入団するのである。
ヴェルナーは、たちまちのうちに黄金薔薇十字団の高位階に駆け上がり、錬金術思想をフリーメーソンに浸透させる活動に熱中していた。
この二人は、しばしば「悪党」だの「ペテン師」だのといった悪名でもって呼ばれることも多い。
と言うのも、二人は政治的野心をもち、プロシア国王のフリードリヒ・ヴィルヘルムに巧みに取り入ったからである。
(後に、彼らは、ロシア皇帝をも黄金薔薇十字団にに引きもうとする計画も立てたが、これは成功しなかった。)
しかし、この悪名は不当だ。なるほど、二人は、時には手品を用いてインチキ魔術を演出したり、山師じみたこともしているが、基本的には、本気でヘルメス哲学を信じている真面目な錬金術の探求者であり、薔薇十字の世界革命を政治の場で実行に移そうとしていた。
二人は、フリードリヒ・ヴィルヘルム国王が、まだ王子の時に接近し、巧みに取り入り、、彼を黄金薔薇十字団に入団させることに成功した。
やがて王子は王位につく。そして、王は黄金薔薇十字団の教義に夢中になる。必然的に二人の宮廷での地位は、飛躍的に良くなっていった。
ヴェルナーは宗教大臣に任命された。
ヴェルナーは、兼ねてからの夢であった宗教改革に乗り出すが、激しい反発を受け、失敗に終わる。
この「改革」で、彼は異端審問所の設置や言論統制といった、非難されても仕方の無い真似もしてはいるが、同時に貧民救済に熱心で、地位を利用して私服を肥やすようなことは一切やらなかった。彼は、真面目な政治家だったのである。
一方、ビショッフヴェルダーは、出世にはあまり関心は無かった。その気になれば、もっと高い地位も得られたろうが、少将と王の副官という地味な軍人職で満足していた。
しかし、彼らの後ろ盾とも言うべき王が死去すると、二人の地位は、あっさりと崩壊してしまう。
二人と黄金薔薇十字団関係者は、宮廷から、事実上追い出されてしまう。
二人は田舎に領地を与えられ、そこで晩年を過ごした。
黄金薔薇十字団は、これを境に急速に衰退する。
特に1785年と1790年に、南ドイツで布告された「錬金術禁止令」も大きな打撃となった。
黄金薔薇十時団は地下にもぐり、やがてドイツでは、彼らの名は全く聞かれなくなってしまうのである。
……しかし、彼らは決して消滅したわけではなかった。
彼らの運動は、ヨーロッパ全土の薔薇十字運動に影響をあたえ、その下地となったのである。
「英国薔薇十字協会」もGDも、ある意味、彼らの遠い子孫とも言えるのである。
「薔薇十字団」 クリストファ・マッキントッシュ 平凡社
「薔薇十字団」 ロラン・エディゴフェル 白水社